清姫の話。【紀行】五度目の清姫の聖地巡礼の話。

歌いながら散歩するきよひー 清姫の話
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澄姫です。

皆さんたびは好きでしょうか。足袋ではなく旅です。僕はどちらも好きです。何の話やら。

某ウイルスが猛威を振るう2020年8月。21日から25日にかけて、澄姫さんは5度目の清姫の聖地巡礼のため和歌山へ向かいました。記事が投稿されるであろう日の先週から週の初めにかけてですね。

このご時世の中旅をするのは、いかがなものかというご意見もありましょうが、対策は行ったうえで行動しています。ご容赦を。

普段はですます調の文章ですが紀行文ではである調の澄姫さん。最初に書いた軟禁話がそうだったからそのノリが続いている。

では清姫聖地紀行。はじまりはじまり。

4泊5日、清姫聖地巡礼の旅

8月21日。夏の旅立ち、夏の和歌山。

2020年8月21日。

そうだ清姫の聖地に行こう。

ということを流石に前日に思い立ったわけではなく、世間の動向も踏まえて1か月くらい前から準備していた澄姫5度目の清姫聖地巡礼。マスクなどのウイルス対策はもちろん、8月は言わずもがな真夏である。暑さへの対策もせねばならない。

リュックサックに着替えやら日焼け止めやら予備のマスクやらを詰め込み、いざ和歌山。

とはいえこの日はほぼ移動のみで終わる。澄姫の住んでいる場所から和歌山はちょっと遠い。というか和歌山県はどこから行くにしても微妙に遠い。大阪からでさえ1時間半はかかる。道成寺のある御坊や清姫の地元真砂最寄りである紀伊田辺までと考えると加えて1時間2時間。遠い。三重から行けば近いかもしれないがあっちはダイヤが薄い。

とはいえ特急くろしおに乗れば早い。特急という課金コンテンツはいつだって強いのだ。

しかしながら澄姫さんにそんな財力はない。というかそのお金があれば和歌山にいっぱい泊まって道成寺や真砂に金を落としたい。時は金なりと申しますが時を犠牲にすれば金を別の場所に回せるという意味が裏にあるのだ。

多分編集しているばぐさんがこいつまた変なこと言ってるなと画面の前で思っているに違いない。

移動中は大したこともなく、手持ちの本を読んだりゲームしたり本を読んだり寝過ごしかけたり。清姫聖地巡礼は毎回同じようなルートを同じようなスケジュールで移動しているが、別段変わった雰囲気もなかった。市井の暮らしはあまり変わらないようである。

庶民の暮らしぶりを観察するようなお殿様気分で移動し、途中御坊で下車。だいたい17時頃。
この御坊駅は特急電車も停車するほどの駅で、駅前にはコンビニがあるほど。駅前にコンビニがあるからなんだとお思いかもしれないが、和歌山の鉄道駅で駅前にコンビニがあるのは貴重なのだ。

この御坊の隣が道成寺。なので一駅分歩くこととした。道成寺へ行ったことのある人ならご存じだろうが、御坊駅から道成寺駅は非常に近く、徒歩でも20分ちょっと歩けば着くのだ。せっかくなので歩くことにした。なぜか澄姫は歩こうとする。

あんだーざせいむすかい
FGO5周年Under The Same Sky和歌山の場所

以前も歩いたことがあったので、迷うことなく道成寺に到着。宝仏殿などは17時までなので境内の散策。特に変化したところはなく、一安心。安珍桜という桜が福島から送られており、前に来た時に比べて成長をしていた。よきかなよきかな。

ところがどっこい。道成寺に変化はなくとも別の場所に変化があった。
道成寺へ向かう参道に「あんちん」という名前そのままのレストランがあったのだが、なんと改装しておりオシャレな外見に代わっていた。OTERA MAE RESTAURANT ANCHINって書いてあった。

澄姫
澄姫

OTERAMAE

道成寺の夕暮れ
道成寺の夕焼け

夕暮れの道成寺を後にして道成寺駅へと向かうとそこにも変化が。

なんとICカードに対応していた。今までの道成寺駅では交通系のICカード(ICOCAとかSUGOCAとかPASMOとかSuicaとか)が使えなかった。それが使えるようになっている。よしみんなICカードは持ったな。道成寺に行けるようになる。もっと気軽に行けるようになるのだ。どんどん行こう。

そして宿泊予定の紀伊田辺へ。

紀伊田辺駅のコンコースではFM田辺の生放送が行われていたので見学。終了後、龍神村にお住いの切り絵作家、蓑虫さんとお話を。以前このブログを見てメッセージをくださっていたので、この機会にお会いする予定を立てていたのだ。資料を頂いたり、田辺の劇団の脚本担当の方にもご挨拶頂いたりと清姫コミュニティが広がっていく。

蓑虫さんとは23日にもお会いする約束をし、ホテルへ。到着は20時半頃。中々の大移動だったので、軽くシャワーを浴びたら荷物の整理などをし、コンビニで買った夕ご飯を食べてお布団にイン。

おやすみなさい。

8月22日。道成寺、そして大雨。

移動の疲れもあったのか、起きたのは10時前。

身だしなみを整え、トートバック一つ肩にぶら下げてホテルを出る。この日は道成寺へ向かうことにした。ついでに清姫の井戸がある龍泉寺も見てこようと思ったが、駅の時刻表を見ると11時過ぎの電車が出ると次の電車は13時。龍泉寺までは往復1時間弱なので断念し帰りに寄ることに。そんなこんなで道成寺方面へ。

紀伊田辺から見て、道成寺の一つ手前に和佐という駅がある。わさわさ。一度降りてみたかったので、下車。ついでに一駅なのだから歩いてしまおうと道成寺方面へ。なおここは和歌山県である。東京や大阪ではない。なぜ澄姫は歩こうとするのか。しかも、きちんとGoogleマップで地図を確認したうえで歩く判断をしている。なぜ歩こうとするのか。

どうも地図を眺めているだけで読んでいないようである。

とはいえこの時点では快晴。お天道様は夏は自分の季節だと言わんばかりに大張り切り。青空に浮かぶ雲をバックに踏切を取るなど、『夏』な写真を撮りながら道成寺の方へ。

どっかのみち
歩いた夏の道。

地図を確認、もとい眺めた時におおよそ1時間くらいで着くだろうな、と大体の見当をつけていたのでのんびりと向かう。1時間くらいなら歩こうとするようになってしまったのはひとえに清姫の聖地巡礼の悪影響で御座います。

が。夏はお天道様ばかりの季節ではない。急な大雨も大はしゃぎの季節なのである。

道成寺への道を半分くらい行ったところで、広がっていた青空は雲に覆われ、雨が降ってきた。しかも結構大粒である。澄姫は傘を持っていない。部図濡れも覚悟したが、幸いなことに通り雨だった。小雨は残ったが許容範囲。


しかしながらずっと雷の音が響いており、中々に不安な中道成寺に到着。

澄姫
澄姫

実績解除・雷の道成寺。

道成寺
雨が止んで少し晴れてきた道成寺

境内散策と拝観を終え、資料を少し買って昼食はレストランあんちんへ。安珍うどんを食べたら道成寺駅に向かい、紀伊田辺へ。清姫の井戸・龍泉寺を見たらコンビニで夕ご飯を買ってホテルへ帰ろう、と思っていたのだが。道成寺へ向かう途中の通り雨は前座に過ぎなかった。

紀伊田辺駅に到着する前から、車窓に降りかかる雨の様子がどうもおかしいとは感じていた。

おかしいどころではない。時刻は15時すぎ。この時、和歌山県には記録的短期間大雨情報が出ていたのだ。和歌山市の方では一時間に120ミリの豪雨。傘のない人間が飛び出していけば、シャワーと相違なく全身くまなくずぶぬれ間違いなし。天が泣いていると揶揄すればぴったりなほどの大雨。

この雨はそのまま近畿から関東にかけて大雨をもたらしたようである。

以前は台風のおかげで和歌山から帰れなくなったが、今回は大雨でホテルにすら戻れなくなった。回を重ねるごとに酷くなっていっている気がする。しかし戻らないわけにもいかない。雨の弱まったタイミングを見計らって駅から飛び出すも、また雨が強くなる。

アーケードや軒下を駆使して何とかホテルへ。想像ほどには濡れず、荷物も無事。ところでホテルに到着したとたん雨は止みその後再び降ることはなかった。

どういうことなんでしょうか。

お風呂に入って不貞寝。翌日はどっちにしろ早いのだ。
おやすみなさい。

8月23日。命日と真砂と。

とんだがわ
清姫渕。お墓のすぐ裏手

8時過ぎに起きると、澄姫はうだうだと荷物をまとめる。この日は21日にもお会いした蓑虫さんと共に清姫の地元である真砂に向かい、夜は更に移動して和歌山市内のホテルに泊まる。この日は結構大忙し。

九時、紀伊田辺の駅で蓑虫さんと合流。車で真砂へ向かう。

この日は本来であれば清姫の一族の末裔である庄司喜代和さんにもお会いする予定だったのだが、コロナウイルスの影響もあって断念。代わりに蓑虫さん経由で資料を頂いていたのでそちらで我慢。加えて、出来る限り真砂の人目を避けるのがよいであろう、とのことで清姫のお墓と潮見峠を中心とすることに。

8月23日は清姫の命日にあたる日。3年前にも来ていたが、またこの日に来られてよかったと改めて思いながら手を合わせる。

澄姫としては清姫生誕屋敷跡に植えられていた桜の木がどうなったかを見たさもあったが、ここも我慢。人との接触は抑えるに限る。てなわけで清姫のお墓にお参りをしてそそくさと撤収。因みに清姫が身を投げたとされる清姫渕はお墓のあるあたりでよいとのこと。

つまり清姫のお墓に来れば清姫の聖地を一気に二つも回れる。情勢が落ち着いたらみんなも行ってほしい。

清姫のお墓
清姫のお墓。中央奥の建物が清姫堂

お墓を後にして、向かう先は潮見峠と捻木の杉。なのはいいのだが。どうも澄姫は前回道を間違えていたようである。というのも、一願寺の道の突き当りは左右に分かれているが、澄姫は以前左に曲がっている。曰く、そっちの方が遠回りなのだそう。なので今回は右から。

とはいえ右の道も急こう配で曲がりくねっているし澄姫的には大差がないかもしれない。加えて、前回行ったときは捻木の杉到着後潮見峠まで行こうかと思ったが道が崩落していたのでどっちにしろ片方には行けなかったようである。

ともあれ、今回は車で一気に潮見峠まで行く。

潮見峠、車がないと来るのは非常に大変ながらも景色が非常に良い。相当におススメ度が高い。しかし来るのが大変である。来るのが大変だからこそ景色が良く見えているという可能性が無きにしもアラブ。違うあらず。

潮見峠
潮見峠。澄姫も行ったのは初めて

そのまま山道を歩いて捻木の杉まで。前回訪れた時に崩落していた道は元通り通れるようになっていた。潮見峠から捻木の杉までは片道30分、往復で1時間程度。潮見峠からは海がギリギリ見えないが、捻木の杉からは見える。どちらも絶景なので大変におススメ。

その後は覗橋の方へ下ってきて一旦お昼。カレーを食し、その後は蓑虫さんの案内で熊野古道沿いにある道祖神へ向かうことに。

真砂の一つ手前、北郡ほくそぎという場所からわき道に逸れ、富田川沿いの山道を進む。日光が葉で遮られるのでそこまで暑くないにしても、潮見峠~捻木の杉も顔負けレベルの山道。往復で大体2時間半ほど。わき道入り口の案内板には2.5キロと書かれていた気がするが、やはり山道は時間がかかる。

この付近には方々への案内板があり、清姫のお墓を示す案内板も各所にある。
道祖神沿いの案内板が辿り着くには難所かもしれない。制覇制覇。

その後は清姫の話などをしながら和歌山市内まで送って頂き、宿泊先へ。
やはり地元の人の清姫に対する愛情というか執着というかはエネルギッシュである。地元の清姫を多くの人に伝えたい、という気持ちは伝わった。

この日は結局山道を10キロくらい歩いた。にもかかわらず、お風呂に入った後でいとこと電話で話し込むなどしそれなりの時間に。やっぱり澄姫は歩く。眠りにつくときにはほとんど気絶に近かった。

おやすみなさい。

8月24日。何もない、ので歩く。

緑多い場所
暇だから行った和歌山城

やはり前日の疲れもあって起きたのは10時過ぎ。特に問題はなかった。この日は予定がなかったからである。せっかくの和歌山旅行なのに予定がないとは何事なのか。そこには水溜りよりも浅はかでタヌキよりも間抜けな阿保らしい理由があるのだ。

前日に和歌山市内にまで移動していたのには訳があった。和歌山県立博物館に行きたかったのである。この博物館では2016年に道成寺と清姫伝説を中心にした特別展が催されており、その際の図録なども販売された。この図録は道成寺などで買える(澄姫が博物館に行った時、博物館にはおいてなかった)。

問題は日付だった。8月24日。月曜日である。

博物館というものは土日は空いているものである。知的教育の片翼を担う以上、子供達が行けるようにせねばならない。そうでなくとも、土日は空いている方が集客も見込め都合が良いだろう。となると休館日はいつか。平日になる。場所によってまちまちだが、週の前半に固まる傾向が強い。

即ち、この日和歌山県立博物館は休館日だったのである。月曜日が休館日なのは博物館の鉄板で、東京国立博物館も京都国立博物館も月曜日が休館日である。色々と手配した後だったので日程の調整をやり直すこともできず。とうとう地図どころかカレンダーまで読めなくなっていたようだ。

目的があって移動してきたのに、その目的を果たせずに無為なまま1日を過ごす。わざわざ和歌山くんだりまでやってきておいてこの体たらく。とはいえ、知らない町は歩いているだけでも楽しい。それに和歌山市内には徳川御三家の内が一つ、紀州藩紀州徳川家の居城和歌山城がある。なので和歌山城へ行くことにした。

何せ和歌山。徒歩で行ける観光地などたかが知れている。

和歌山城と清姫
もちもち清姫in和歌山城

お城だなぁ。晴れてるなぁ。夏だなぁ。

別段お城好きでもなく。城内を軽く散策し、お昼頃に和歌山駅へ戻る。お昼はラーメン。和歌山ラーメンは土産物になる程度には有名だそうで、豚骨と鶏ガラの出汁が効いたスープと細麺の具合が結構美味しかった。感想がお城よりも長い。

ホテルまで戻り、まだ時間が余ったので地図を見ていたら近くに紀州の誇る大河川、紀ノ川があったので向かってみた。往復で1時間ちょっと。さて紀ノ川。川だなぁ。広いなぁ。川の中流~下流域に感傷的な感想など伴うはずがなかった。

その後ホテルに戻り、この記事を書き始めながら1日が終わり。この日も結局和歌山城や紀ノ川を往復したので10キロくらい歩いている。なぜ歩こうとするのか。早めに起きて姫路まで行って来ればよかったと思う次第。往復5時間、徳川家斉の娘の喜代姫の嫁ぎ先。

ともあれ、おやすみなさい。

8月25日。来た以上は帰らねばならない。

最終日。本来は移動だけで終わるはずの1日だったが日程調整のアクシデントに付き予定変更、帰りは大阪から課金コンテンツを利用することとしたので、昼間は例の和歌山県立博物館に向かい、昼過ぎに大阪の方へ向かう。

和歌山県立博物館は和歌山城の隣にある。なので、昨日も行って帰った道を再び通る。ホテルはチェックアウトをしていたので和歌山駅のコインロッカーに荷物を置き、トートバックをぶら下げて博物館へ。

常設展の内容は和歌山県の歴史に関するもので、道成寺の名前と道成寺縁起の模本も展示があった。のんびり見ても一時間程度で回れるので、和歌山城のついでに行くのでもよい。隣の近代美術館と合わせた入場券や和歌山城の天守閣の割引券などもセットに出来るので辺り一帯を回るのにおススメ。

ミュージアムショップには前述したように特別展の図録のほか、和歌山県に関する書籍が多数、さらには研究誌がバックナンバーも含めておいてあった。手鏡や手ぬぐい、キーホルダーなどの土産物も置いてあり、澄姫は道成寺縁起が用いられたポストカードを購入。

郵便番号の欄が5桁だったのが驚き。上から貼る用の7桁になっているシール渡された。驚き。

駅に戻り、お土産などを物色してからお昼過ぎに和歌山駅を出発。大阪駅に到着後、遅めのお昼を食べて時間をつぶし、帰りの鉄道に乗車。帰り道は大層な事無く、無事帰宅。

これにて4泊5日和歌山清姫聖地巡礼、終幕。ただいま。


結構長くなりました。

情勢下での旅路でしたが、大きなアクシデントもなく体調不良の兆しもないので一安心。何度も行っているので見慣れてきてはいますが、それでも和歌山の旅は楽しいものでした。落ち着いてきたら皆さんもいっぱい行きましょうね。和歌山良いとこ無限においで。

みかんとかうめとか釣鐘饅頭とか。旅のお土産を囲んで旅の話をするのもまた一興。前の紀行文は実際の旅から間がありましたが、今回はとれたてほやほやの新鮮な旅のお話で御座いました。

最後に澄姫が撮った夏をおすそ分け。もう秋になりますね。

今回はここ迄。お読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。