澄姫です。
前回は清姫についてでしたので、今回は安珍について。
またの名を安鎮。その名をもってしても清姫は静まる事も安らぐ事も無かったわけですが。
さて、安珍と言えば清姫に一目惚れされたけども嘘を吐いて逃げ、挙句の果てには焼き殺された……と自業自得ながらなんとも不運な僧侶。
将来を嘱望されていた若僧だったようですが、嘘を吐いたのが運の尽き。一方で女に惚れられたからと簡単には揺らがぬ信念を持っていたとも言えるでしょうか。あんまり言いたくないけれど。
では嘘吐き逃走野郎の烙印を押された安珍。一体全体彼の若僧はどんな人物であったのかを見ていく事としましょう。折角なので清姫と同様に。
(今回も文献ごっちゃまぜです。でも安珍はあんまり変わらない……)
1.名前
安珍と言う名は、清姫の名に比べて相当に早く見えます。一三二二年『元亨釈書』という、日本の仏教についての歴史を辿った本が成立しました。そこで「安珍」という名前が与えられます。
文献によっては「安鎮」と表記される事もあったようですね。

2.年齢
安珍の年齢は結構ころころと変化します。十六歳とされる時もあれば三十路だったのではないか、二十代前半だろう、とまとまりがありません。

イケメンは年齢が自由自在
しかしながら、物語によっては例外もありますが、ある程度共通しているのは清姫よりも年上として描かれるということ。年下の女の子を振って逃走するとは……。
3.出身地
熊野参詣へやってきた安珍。清姫の住む真砂を通っている事から、大阪の方からぐるりと回ってくる中辺路というルートを通ったのだろうと考えられます。
さてはて安珍、どちらからやってきたものか。
『道成寺縁起』等では奥州白河とされています。
つまり今の福島県白河市です。更に詳しく言うと萱根という場所だそうですが、千年も前に福島県から和歌山県まで歩いていったともなれば、熊野参詣が安珍にとってどれほどの悲願であったか、少しは分かる気もしますね……。
現在、安珍の出身と思しき当たりではお墓などがあったりします。
4.命日
最後は命日です。
「清姫に焼かれたんだから同時期じゃないの?」実は全然違う日付が命日とされています。
それは旧暦の2月27日。今の暦で言えば三月末と言ったところですが……何故清姫とほぼ半年も違うのでしょうか。清姫伝説七不思議のうちの一つですね。残りの六個は今から考えておきます。

安珍についてもう一つ。ほぼすべての文献で共通しているのは「大変に美麗であった」ということ。今風に言えばイケメンです。清姫が一目惚れしてしまうのも納得でしょう。
しかし将来を嘱望され、イケメンで、福島から和歌山まで踏破する信念と体力……その美貌がアダとなった形ですが、非の打ち所がないですね。嘘を吐いて逃げた以外は。

蛇なるほど怒ると思わんよね
清姫同様、今回のお話が安珍の全てではありません。
いずれ詳しくお話しする機会があればその時に。
今回はここ迄。御読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。