澄姫です。
記事を書いてから投稿をするのにタイムラグがあったりもします。
なのできちんとした現状報告とは言えなかったり、一方で投稿直前に手直しをしたりする場合もあるのでややこしいので言い分けて行かないとコンガラガッチュレーションしてしまいますね。
ともあれ、この記事の初稿時には相当喉を痛めています。ちょうどお世話になった先生が退職されるという事で部屋の掃除がてら本を数十冊頂戴した際の埃が原因ではないかなと思っていますが、地味に重篤化してしまいました。みんな喉には気をつけようね。
清姫伝説の距離の話をしたい
さてはて、今回は清姫四方山話、取り留めのない話をしましょう。
今回は清姫伝説の距離について。
清姫伝説では結構地名が出てきます。清姫の住む真砂もそうですし、安珍の出身地として奥州白河などですね。道成寺は地名というよりも場所ですが、これも登場する地名の一つと言って良いでしょう。
昔話だと具体的な地名が出てくることは余りないように感じます。元となったお話などではきちんと記述があっても広まっている間に「そこまで重要じゃないよね」と省かれていったと考えていますがそれはさておき。
地名が出てくる以上、間の距離を測る事が出来ますね。今回はそんなお話。本当に下らない話ではありますが、距離の概念を持って考えると清姫伝説が結構壮大な物語になります。
安珍の地元から熊野までの距離の話
先ず、安珍が清姫の元を訪れるそのまえ、奥州白河から真砂にやってくるまで。簡略化しておおよそ福島県の白河から和歌山県の中辺路町真砂、バス停清姫と考えましょうか。
端的に直線距離で考えると568.1kmとなります。時速4kmで歩き続けたとしても不眠不休でほぼ6日かかる計算ですね。しかも途中で三河湾や伊勢湾を跨いでしまいますから、更に迂回をせねばなりません。
ここで、安珍が熊野古道の中辺路ルートを通ってきた事をふまえてみます。
すると概算で800kmほど。なんと200時間……一日10時間歩き続けても20日かかります。
足が棒になるどころじゃない……
今でこそ交通網のみならず道の舗装や案内板等々ありますが、当時は道が舗装されて居なかったり地図が無かったこと、街頭も無いので夜間は歩けなかった事などを考慮すると、安珍にとって相当な旅路であったでしょう。
2~3か月歩いてようやく目的地ですからね。片道だけだからね。帰り道もあるからね。距離的観念からも安珍にとって熊野詣が悲願足り得ると分かります。
真砂から道成寺までの距離の話
次は清姫が安珍を追っかけて行った真砂から道成寺を考えてみましょうか。
史跡を辿って考えると清姫は先ず潮見峠へ行き、その後田辺を経由して海に沿って日高川を越えて道成寺に辿り着いています。
そのルートを数値化すると40kmちょっとでした。フルマラソンくらいですね。
今でこそそこまで遠く感じる距離ではありませんが、何せ千年前。清姫のようなか弱い(?)女子が行くには中々な距離ですが、一方で何日もかかってしまうような距離でもないので不自然な距離ではないでしょう。
因みに、音速で移動した場合は2分くらいです。800kmを音速で移動しても一時間かかりません。
やっぱり音速って凄いね。
そう言えば以前安珍と清姫がそれぞれ転生したとされる兜率天・忉利天ですが、あれもとんでもない距離になっていましたね。数十万kmと比べるとスケールが小さく思えてしまいますが、日本という舞台の中では結構な移動距離です。
距離や空間的に壮大な清姫伝説、の四方山話でした。
今回はここ迄。御読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。