清姫の話。【讃嘆】道成寺清姫和讃の話。

八重歯きよひー 民間伝承
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澄姫です。

記事のタイトルにフリガナを振るか迷ったのでここで言っておくと讃嘆はサンダンと読みます。散弾ではないです。字の如く褒め称える意味を持ちますが、主に仏教関係の事物を指していうらしい。

広辞苑って偉大。因みに、讃嘆は讃歎とも書くようです。

読めない漢字があったらTwitterなどで指摘してくれれば加筆しておきます。
直接送るのが憚られる人はタグで〈清廉紀州流域〉と付けてくれればたまに巡回しています。

ついでに感想が欲しい。何か案件があればそっちも欲しい。文章とか清姫関係とか。
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余談余談。もとい番宣。

和讃という物の話。

読みは結構そのままでワサンと読みます。

和語賛歌の事で、簡単に言えば日本語で書かれた讃える歌です。まんまですね。
サンスクリット語で書かれれば梵讃、漢語で書かれれば漢讃。こっちもまんまですね。

賛歌は西洋の方の宗教を讃えれば讃美歌とも呼ばれますが、要は歌の形式で褒めてるってこってす。

和讃についての細々とした説明ですが、僕も良く知らないので、紋切型ですが広辞苑に『和讃』の項目から引用します。

わ-さん【和讃】
仏・菩薩、教法、先徳などを和語で讃嘆した歌。讃歎に起り、平安時代から江戸時代にかけて行われ、七五調風に句を重ね、親鸞は四句一章とした。
源信の「極楽六時讃」「来迎讃」親鸞の「三帖和讃」などが有名。

広辞苑

有名なものがあるらしい。僕は調べていて初めて知りました。あまりなじみのないものではありますね。七五調なので声に出した時のテンポが心地よいかもしれない。

仏教説話の類を和讃の形式にしたものもあるようで、さてはてここからが話の本番となる次第。

道成寺清姫和讃という物の話

和讃の中には清姫伝説を元にしたものもあり、それが『道成寺清姫和讃』なのです。
僕の記憶が間違っていなければ道成寺の清姫伝説を主にした方の宝物殿にも掲示があったようなかったような。つい最近行ったはずだけども、手元のメモに記述がない。口惜しや。筆だけど。

そこまで本文が長くはなかったので、全文置いておこうかな、という塩梅。

僕が参照するのは高野辰之の『日本歌謡集成』の巻四です。道成寺に有った掲示も高野辰之の名前を見たような見なかったような。

旧字体での表記は適宜新字体に直しています。また、必要な部分はフリガナも。怒られるから。
先に述べた通り七五調なので、声に出して読んでみると心地が良いですわよ。

帰命頂礼そのむかし 真名子の庄司と呼ばれたる
紀州において名も高き 弓取る家の愛娘
姿容すがたかたちも清姫と その名を呼べる女なり
恋の暗路に踏み入りて 熊野参りの安珍と
その名を申す若者の 妙なる姿に思込め
ふかく迷ひて慕ひつゝ 一夜のなさけに濡れなんと
胸に燃え立つ煩悩の 炎身をばこがしつゝ
口説けど泣けど安珍は 縋る袖をば無情すげもなく
振り切り払ひ聞き容れず かゝる處に長居せば
身の為ならずと夜に紛れ 安珍家をけ出でゝ
道成寺へと至りつゝ 事のよしをばうち語り
鐘の中へぞ隠れたる 清姫かくと知るよりも
心も身をも狂ひ出し 恨みを言はんと思へども
中を隔つる日高川 わたす渡しのあらざれば
しばし川辺に泣き倒れ 果てしもこゝにあらざれば
ついにも心をきはめつゝ たとへ藻屑と化するとも
今にぞ思ひを知らせんと ざんぶと川にはねり入る
あゝおそろしや一念の 大蛇となりて道成寺
いつの間にかは飛行とびいつて 安珍隠れし釣鐘を
七巻半ぞ巻ければ 瞋恚しんいの炎燃えそめて
さしもに堅き釣鐘も くるばかりの苦しみに
あらあさましや安珍も ともに蛇道に落ち玉ひ
浮ぶせも無き魔界へと しづみけるをば御仏の
広大無辺の御功力 尊き御僧の読経どっきょう
ともに成仏遂げたるは 末世の今日に至るまで
残る話の因果なり 今に御寺も残りけり

高野辰之『日本歌謡集成』巻四 中古編近古編

「ゝ」という文字は「々」と同じなので一つ前の文字を続けて読んでいただければ。

ところどころ話が違うのがお分かりいただけると思います。

例えば安珍が夜中に逃げ出していたり、清姫が日高川の川辺に辿り着くまで蛇の姿になる様子がなかったり。一方で民間伝承では功徳による成仏があまり描かれないのにちゃんと最後まで書かれていたりと、仏教説話としての側面も失っていない模様。

清姫伝説自体が短いお話ではありますが、その中に結構いろいろ込められている模様。

いつかじっくり解説できたらいいなぁ。精進します。

今回はここ迄。お読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。