澄姫です。
この記事で清姫の話は20個目となります。結構話をしている気もしますがまだまだ。
毎日1個換算でもひと月分にすらなりません。
単純な記事数や字数の量ではなく質の話をするとそうですね、僕の清姫の話も常に成長を続ける、良い響きなのでもう一度、僕の清姫の話も常に成長を続けるので一分くらいしか話していないのではないでしょうか。残り九割九分零厘零毛零糸頑張ります。皆さんも頑張ってついてきてください。
……そう言うはいいけど言ってしまった以上2000は書かないといけないんですね。毎日更新で5年半かかりますね。いやしかし量ではなく質云々。
がんばろう
精霊踊りと云うものの話
さてはて前置きが長くなりました。今日はとある清姫伝説について。
精霊踊歌、というのをご存知でしょうか。
グルックのオペラ劇中歌に「精霊の踊り」がありますがそれとは別です。
読みは「しょうりょうおどりうた」と読みます。セイレイ、と読みたくなりますがショウリョウです。
いずれにせよ、あまり馴染みのない言葉でしょう。精霊踊り、とは盆踊りの別称だそうです。そこに歌と付いていますから、盆踊りの歌、ということですね。
精霊踊りな清姫伝説の話。
では本題、清姫の話。
その精霊踊歌の一つに「日高踊」というのがあります。日高といえば日高川、然らば清姫伝説。安直な連想ゲームですが事実、内容は清姫伝説を踏襲したもの。
以下、引用です。 (この文献で聖霊踊歌に分類されています)
△京山伏が熊野へ参るャァ○しはたかやまの女茶屋で宿とりて、三ッになる姫抱き上げてャァ妻にしようと申しされた。
△十三なる年またとまられて○その時姫が申さるゝ様はャァ○妻にならうと申された。
△それから山伏肝潰し。あなべたなべをはや打越えて京松原へ逃げられた。
△あとより姫が追ひかけするよ、あなべたなべをはや打越えて京松原へ追ひかけた。
△それから山伏や日高川へ逃げられた○あとより姫が追ひかけるするよ、渡してたもるな船頭どの。
△あとより姫が追ひかけするよ○あの船いや、あの船いや、渡さにやはひる、渡さにやはひる、はいたる草履を手に持ちて、はひろをおもたら蛇になりた。
△それから山伏や鐘巻寺へ逃げられた、ャァ同宿達をたのまれて、ャァ鐘をおろしかくされた。
△あとより姫が追ひかけするよ、御門の脇に暫く立ちてあの鐘々と念を入れ、一巻まこよ二巻まこよ、ャァ三度まいたら湯になりた。
△にほんのうちに姫多けれど、ャァ庄司が娘は蛇になりた。
日本歌謡集成六
だいたい皆さんの想像する清姫伝説のあらすじではないでしょうか。
鐘巻寺、というのは道成寺のこと。山伏が安珍で姫が清姫です。
CHECK【鐘無き寺】道成寺について
清姫が13歳であった、と聞いたことのある人もいるでしょうが、元の出典はこの歌、若しくは真砂地区に残る伝承のどちらかではないか、と考えられます。
少し前、清姫伝説の民間伝承について触れた記事で「清姫伝説の民間伝承は複数存在する」とお話ししましたがこの精霊踊歌もその一つです。恐らく他の民間伝承を下地に踊歌としたものであると考えられます。
CHECK【伝わるは悲恋】『民間伝承』について
では一体何時頃成立したものなのか?
民間伝承であるが故、明確な時期ははっきりしません。
しかし道成寺を鐘巻寺としている点や、安珍と清姫の名前が登場しない点、またあらすじが『日高川草紙』『道成寺縁起』に近い物であり、この二作品に影響を与えたと考えられる点から1400年頃には既に成立して居た物である、と考えられています。相当に古いですね。
この『日高踊』、民間伝承の清姫像がどのような物であったかを推察する手がかりともなります。
またいつか詳しくお話しますが、元々文献では悪たる寡婦清姫として扱われていた清姫が、現在のイメージに近い少女清姫となって流布されるのは江戸時代になってからです。
ではその清姫の原型は何処にあるのか……といったお話も、出来たらいいですね。
いやぁ、面白いでしょ?
また清姫博士に近づいた
今回はここ迄。御読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。