清姫の話。【其は悪】寡婦清姫

寡婦清姫清姫
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澄姫です。

今日は清姫の話でもしましょうか。いつも清姫の話をして居ますが今日はいつもの清姫の話とは違って清姫の話をします。何言っているのか分かりませんね。要するに清姫の話をします。いつも通りだね。

清姫と言う姫の話。

きちんと言い直しますと、清姫という人物についてのお話です。普段は清姫伝説に纏わるありとあらゆる雑多な事をひっくるめて清姫の話としていますが、今日は正真正銘清姫についてのお話。

日本に姫数多かれど、清の字を与えられしは清姫のみ。

行きずりの僧侶に淡くも惚れ込む情熱と、嘘を許せず追い続け果てには蛇へと成った執念の持ち主。幼い恋心とそこからは想像も出来ぬ執着という、一見相反するような性質を持った清姫。

して、そんな清姫とはどのような人物であったのか。どのように描かれてきたのか。そしてどう変化していったのか。一つ一つ、お話していきたいと思います。
長くはなります。ですが、今暫くのお付き合いをば。

前置きが長くなりました。
では……清姫の話をするとしよう。

清姫と言う寡婦の話。

さてはて本題。今回お話しする清姫は「寡婦清姫」です。
因みに「寡婦清姫」は僕が便宜上そう呼んで言うだけであり、常用の表現ではありません。あしからず。寡婦清姫以外にも少女清姫や真砂伝承と呼んでいるものも僕の仮称です。

先ず、どの物語に登場する清姫であるか、という話から。

寡婦清姫は『法華験記』『今昔物語集』『元亨釈書』に登場する清姫です。
この時代(鎌倉時代以前)の清姫は名前が与えられていない事は勿論、そもそも人物としての情報が非常に少ないのです。年齢・家族構成・住まい・外見などなど……。

CHECK【原典】『法華験記』について
CHECK【今ハ昔ノ】『今昔物語集』について
CHECK【其は安珍】『元亨釈書』について

また、元亨釈書では真砂で熊野参詣に向かう旅人を泊めることを生業としていたとされます。
しかしながら、清姫に関する情報と言ってもこの程度が精々であり、これ以上清姫に関する云々は分かりません。

共通して描かれているのは寡婦であると言う事と、侍女の存在くらいです。侍女は2~3人居たとされていますね。ここから、一定以上の立場を持った存在であることが分かりますね。後々に姫、と称されるのはその純真さだけではないのです。

寡婦と云う単語の話。

ここで一つ、寡婦についてご説明しましょう。あまり馴染みのない単語かもしれません。「かふ」と読みます。

紋切型ですが、広辞苑によると「夫に死別した女。やもめ。未亡人」とあります。「やもめ」を漢字にすると「寡」になったりするのですが、まあ余談として。

つまり寡婦清姫とは未亡人清姫だったのだ。

とまあ、これはあくまで現代で寡婦が未亡人を指す単語として扱われているだけのお話。本来の意味の一つに「(婚姻歴に関わらず)独り身の女」を指す意味もあったそうです。

これは古典ではざらにある事なのですが、今使われている用法と当時の用法では意味が異なる場合が多々あります。

例えば「うつくし」等は今だと「美しい」の意味ですが、古典では「可愛らしい」「愛しい」「立派である」などの意味もありますね。残っているだけまだましで、その当時に意図された用法が完全に断絶してしまっている場合も……余談余談。

原典から見る寡婦清姫の話。

扇風機にあーってする清姫

さてはて、そんな(可哀想な)独り身清姫さん。確かにそこへイケメンな僧侶が来たら寂しさの余り言い寄っても不思議ではなく……。近辺に住んでいる男は片っ端から駄目だったんですね。そりゃド田舎の百姓なんて……という言い分も分からなくはありません。

寡婦清姫さんは『法華験記』『今昔物語集』『元亨釈書』の三作に登場すると言いました。
これ等の作品は全部前に軽く御紹介していますが、法華験記版清姫伝説の表題覚えていますでしょうか。
そう、「紀伊國牟婁群悪女」。読む前からネタバレされています。悪です。

更に今昔物語集では法華験記に無かった追記が相当数見られますが、締め括りも変わっており、こうあります。「女人ノ悪心ノ猛キ事、既ニ如此シ」。訳すと、「女の悪心が強いのはこの通りである」となります。悪です。

最後に元亨釈書版。清姫は原文で淫婦呼ばわりされます。出番だ広辞苑。読んで字の如くですが「みだらな女。多情な女」。あまり善とは言えないでしょう。

ばぐ
ばぐ

わるひー

今でこそ月9ドラマやらなんやらでドロドロの恋愛劇をやっていますし、不倫は文化なんて言葉もあるくらいですが1000年前とすれば話は別でしょう。しかも仏さん絡みのお話です。やっぱり悪……。

悪としての清姫の話。

即ち、寡婦清姫さんは悪なのです。

ですが、ここで一つ。清姫さんが「悪」として扱われているのは、安珍を殺したから、ではありません。元々悪い存在として扱われています。更に言うと、それは清姫個人に由来するものではなく、「女だから」というものです。今言ったら色々と問題になりそうです。

ばぐ
ばぐ

時代とは恐ろしい

つまり、「悪い事をしたから悪」なのではなく「悪い存在なのだから悪い事をする」という事です。しかもそれは「女であれば誰でも発露し得る悪」であり、別に清姫が格別イケナイ子という訳ではありません。

ですので、安珍が追っかけられて焼き殺されたのも、嘘を吐いたからではなく悪という存在が居たから、という話になり、極論安珍さんは通った道が悪かったね、ちゃんちゃん、レベルのお話になります(一概にそうも言えないのですが割愛)。

悪として登場した寡婦清姫。何故必要だったのか?

それは先に上げた三作が「仏教説話」「仏教通史」である事に強く起因します。
簡単に言えば「悪い存在すら救っちゃう仏教すげー!」って話なんです。仏教の良い所を見せる話にしないといけませんからね。咬ませ犬に近いかもしれません。

ばぐ
ばぐ

あるあるやね

『法華験記』『今昔物語集』『元亨釈書』の三作はいずれも寡婦清姫さんです。悪い清姫さんです。そこに理由などありません。悪い存在ですから悪い事をする、という扱いです。しかも清姫という個人はほとんど必要とされず故に名前も登場しません。

しかし、だからと言って安珍が一切良しとされているか、と言えば上記したように一概に言えるわけでもなく。込み入った話になるのでこれはまたそのうち。

寡婦清姫さんは清姫伝説の中で初期の清姫さんです
いま広く認識されている悲恋のヒロインと言ったイメージからはかけ離れているでしょう。

ですが、長い時代の中で清姫伝説に触れた人は彼女を悪のままにしておくことを良しとはしませんでした。

無論、清姫がやった行為そのものは悪い事です。端的に言っちゃえは殺人ですからね。それでも、清姫自身を何の意味も無く悪い存在にしてはおきませんでした。そうして寡婦清姫はだんだんと少女清姫へと変化していくのです。

今回はここ迄。御読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。