澄姫です。
清姫の研究が一つの佳境なので、今凄く楽しい僕で御座います。
落ち着いたらまた一段階上の清姫の話が出来るでしょう。お楽しみに。
最近知ったのですが、詩や文を作る際に参考資料を広げて散らばしている様子を「獺祭」と呼ぶそうです。カワウソが捕まえた魚を並べる様子からだとか。
日本酒で有名なお名前。
清姫の火力はナーフされたことがあるお話
ふざけたタイトルに思えますが、きちんとしたデータ?資料?考察?ともあれ澄姫さんの清姫知識を動員し、ある程度のしっかりした方法を用いて与太話をします。
大真面目にちょっとふざけた感じ。空想科学読本みたいなものだね。
いきなり話は逸れますが、六月の頭付近に澄姫さんは清姫伝説の本文をテキストデータ化していました。なんのこっちゃと言えば、ワードに清姫伝説の文章を書き写したということです。これで出先でも愛用のsurfaceさえあれば清姫伝説が読めるしブログが書けるかもしれない。
その際にちょっと読めない漢字があってその騒動が前回の記事なわけですが、その甲斐あって清姫伝説同士の比較も容易となりました。比較という事に関しては次回研究らしい話をしようと思っているので細かい部分は次回に回すとして、今回は比べてみた結果の面白い部分について話していきましょう。
結論から言えば清姫の火力は一度上方修正がされましたが強すぎたため下方修正、所謂ナーフをされました。
清姫といえば炎を吐く。哀れ安珍は鐘ごと生きながらにして火葬されてしまったわけでありまして。
棺桶要らずですねとの冗談はさておき、清姫伝説には多くの作品があることはここに来てくれている方はご承知の通り。
初見さん向けに解説をすれば、清姫伝説と呼ばれる説話が入っている、原典と呼ばれる作品は幾つか数があります。
法華験記・今昔物語集・元亨釈書には一つの説話として。謂わば短編集に入っている一短編ですね。
それに絵が付いたのが道成寺縁起。舞台化されたのが歌舞伎などの道成寺物。
このような様々な作品群の中で、清姫の火力って変わっているんですよ、という話なのです。
清姫の火力推移を実際に見てみる話
では実際に原典からその様子を見ていくとして。
まず最初に最古の原典、『法華験記』と『今昔物語集』から清姫が安珍を焼いた時の様子を見てみましょう。
諸僧見るに、大きなる鐘、蛇の毒のために焼かれ、炎の火熾に燃えて、敢へて近づくべからず。即ち水を汲みて大きなる鐘を浸して、炎の熱を冷せり。僧を見るに皆悉くに焼け尽きて、骸骨も残らず、纔に灰と塵のみあり。
法華験記書き下し文
寺の僧共此れを見るに、大鍾蛇の毒熱の気に被焼て炎盛也。敢て不可近付ず。然れば、水を懸て鐘を冷して、鍾を取去て僧を見れば、僧皆焼失て、骸骨尚し不残ず。纔に灰詳り有り。
今昔物語集
大まかに訳せば、
『道成寺の坊さんが(安珍の入っていた)鐘を見てみると蛇の毒で燃えており近づけなかった。なので水をかけて冷まして、鐘を退かしてみると安珍はすっかり燃えていて骨すら残っていない。僅かに灰があるばかりだった』
といった感じ。

安珍は灰になったのだ……。
さて、同じく安珍が焼かれた場面の日高踊(精霊踊/盆踊りの一種らしい)から見てみると。
あとより姫が追ひかけするよ、御門の脇に暫く立ちてあの鐘々と念を入れ、一巻まこよ二巻まこよ、ャァ三度まいたら湯になりた。
『日本歌謡集成』より
湯になったらしいです。何が湯になったかと言えば、この文脈だと鐘でしょう。今昔とかだと鐘は原形を保っていたのにとうとう溶けました。鐘の素材は様々みたいですが、青銅製だと融点は875℃、銅製だと1,083℃、鉄だと1500℃を超えます。安珍は灰すら残るか怪しい。

溶岩くらいなら泳げそうですね。
日高踊や清姫伝説を元にした踊歌の成立時期は不明ですが、室町かそれよりも前だろうと言われているので、結構古いと考えられます。ここで清姫の火力は一度上方修正がされました。元々強いのに……。
最後に道成寺縁起から。踊歌との前後関係は不明ですが、ここでは一先ず今昔→踊歌→絵巻の順番としておいてください。
其時、近く寄で見るに、火、いまだ消す。水を懸て、鍾を取除て見れば、僧は骸骨計残て、墨の
道成寺縁起
ごとし。
鐘は溶けなかった模様。どころか、安珍の骨が残りました。
実際に道成寺縁起の絵を見てみると黒焦げになった安珍が描かれています。灰になっちゃうと絵にし辛いといった事情もあるのでしょうね。ともあれ、清姫の火力が安珍を灰に出来ないくらい下がりました。全身骸骨が残るくらいなので、火葬場よりも低めの温度でしょう。
日本の火葬場は800~1200℃くらいだそうなので、安珍が灰になったことを考えると今昔版ではそのくらい。その温度で溶けないとなると鐘は鉄製となり、日高踊の清姫の火力は1500℃~ほど。道成寺縁起になると800℃以下まで落ちますね。
清姫の火力の話をしていたら道成寺の鐘の素材もなんとなくわかりましたねよかったよかった。
平安時代に鉄製の鐘があるかどうかはともかくとして。
こうして比べてみると同じ物語でも細部は変わっていることがお分かりいただけると思います。次回はもうちょっと研究っぽいというか濃い話をしようかな。恋話ではありません。それは清姫。
今回はここ迄。お読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。