清姫の話。【変遷】籠りと渡り、二つの清姫伝説

春の陽気に誘われるきよひー 清姫の話
この記事は約5分で読めます。

澄姫です。

だいぶ前から本棚から本があふれています。本棚の上に本を積み重ねる始末。部屋の中に本棚を六個ほど無理矢理に詰め込んでいるのですが、それでもなお収納しきれない量の本。漫画とか小説とか学術書とか。

主に漫画な気がする。

なお六個ある本棚の内二つは清姫関係専門の本棚です。入り切っていないけど。気になった本をどんどん買っていくのが悪い。前に買った道成寺縁起絵巻も入らないので立てて入れています。ちゃんと横置きしたい。

余談余談。

二つの清姫伝説の話

さて清姫の話をするとして。

清姫伝説が長い時間をかけて変遷を遂げてきたのはところどころで話をしてきました。説話だったものが絵巻になったり歌舞伎になったり、語り継がれ方はさまざまに増えていき広まっていった、などなど。絵巻はイラスト化、絵本はコミカライズ、歌舞伎や能楽は舞台化みたいなものです。

数多有る清姫伝説ですが、大きく二つに分けることが出来ます。
籠り型』と『渡り型』の二つです。

家に籠ったんじゃろな、川を渡ったんじゃろな。読んで字の如くではありますが、この二つはどちらも清姫の変化過程の違いを指すものです。若しくは話型といっても良いかも。

『籠り型』は清姫がお家に籠って、次に出てきたときには大蛇になっていたパターン。
『渡り型』は清姫が追っかけて日高川で大蛇になってしまったパターン。

大半の方がご存じなのは『渡り型』であろうと思います。清姫が追いかけながら大蛇に変身していく、という話として要約されますし、絵としてもインパクトが強いですからね。

ではそれぞれの話をしていくとしましょうか。ちょっと研究っぽいお話。

『籠り型』の清姫伝説

『籠り型』と『渡り型』の特徴は清姫の変身過程にある、とは先ほど述べた通りですが具体的な流れをきちんと追ってみましょう。

籠り型』の代表となる清姫伝説は『法華験記』と『今昔物語集』の二つ。清姫伝説の中でも最古の文献になります。

他の清姫伝説同様、安珍が熊野参詣を目指して熊野へやってきて、清姫の居る家に泊まることとなり、夜中に清姫が夜這いをしてきて告白。断るにもすったもんだの問答があり、安珍は「帰りには寄る」との約束をして出立。何日経っても帰ってこない安珍に業を煮やした清姫は道行く人に行方を訪ねるとすでに通り過ぎた後だと知るのでした。

ここまでは一緒。

ここで法華や今昔な清姫はお家に引き返して引き籠ってしまいます。清姫の侍女達も心配そうな素振りを見せていますが、次に出てきた時には大きな毒蛇の姿となっておりこれにはびっくり仰天。そのまま安珍を追っかけて西の方へ向かうのでした。

因みに『法華験記』と『今昔物語集』にも微妙な違いがあって、『法華験記』では家に引き籠って次に出てきたときには大蛇となっていますが、『今昔物語集」では一度死んでしまっています。侍女たちが悲しみに暮れていると死んだ主が大蛇となって出ていくのですからたまけたもんだ。

この微妙な違いは『今昔物語集』が構造的な因果応報譚に変化しているとかそんな小難しい話もあるのですが、ここでは置いておくとして。

清姫の場合ではお家でしたが、閉鎖的な空間に閉じ籠る、というのは通過儀礼のような特別性を持ちます。簡単に言えば意味深ってことですね。

日本だとアマテラスが天岩戸に閉じ籠ったのが有名でしょうか。他にも古典とかだと『うつほ物語』とか。『鶴の恩返し』も似たようなものになるのかな。あとは『桃太郎』も。桃の中の空間には特別な子供がいた、という感じですかね。

この辺りはあまり詳しい訳ではないので置いておくとして(もっと知りたい人は柳田国男か折口信夫でも調べてね)清姫が家に引き籠って変化した、というのはたまたま物語がそうなったのではなく、意識的に記述された場面なのだろうと思います。

というのも、清姫伝説の舞台は和歌山県の牟婁ムロ郡という場所でした。牟婁ムロは即ちムロであり、洞窟や木のうろなどを始めとした仕切られた空間の事を指します。そこから四方を壁に囲まれた部屋という言葉につながるようですね。

舞台そのものが清姫の引き籠りと変化を暗示するような場所だったのでした。

『渡り型』の清姫伝説

こちらは分かりやすいですね。

清姫が安珍を追いかけて道をすたこらと行きまして、これや化け物になっていき日高川に飛び込めば完全な大蛇となりし事。

『道成寺縁起』『日高川草紙』『日高踊』を始めとして、中世以降の清姫伝説はあらかた『渡り型』です。

一番大きな影響は何といっても『道成寺縁起』でしょう。走る間に顔は異形に火を吐いて、挙句川に飛び込んで大蛇となってしまうわけですが。やはり絵になりますね。巻物を横に広げていけば場面が次々に展開されていき映えるものです。

この辺りは何度か話をしている気がする。

『籠り型』では閉鎖的な空間が鍵でしたが、『渡り型』では川が鍵となります。
三途の川とかが代表ですが、川も境界線として考えられてきました。その川を渡るというのは、こちらの世界から異界に足を踏み込むということ。この辺も何度か話している気がする。

個人的に考えているのは、川に飛び込むタイミングで清姫の着物も脱げてしまっているので清姫の本性(蛇性)が川の流れで洗い流されて表出したのかな、とも思っています。

『道成寺縁起』が『渡り型』のきっかけと書きましたが、『日高踊』や『道成寺物』と『道成寺縁起』の前後関係がはっきりせず、曖昧なままなので細かい部分の影響関係はまだ分かっていません。
のんびり調べていく予定。余談余談。

今回はここ迄。お読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。