澄姫です。
記事を書く時、基本音楽をかけるかお茶を飲んでいます。お茶はほうじ茶が好きです。
熊野にも『音無し茶』というほうじ茶がありまして、以前飲んだことがあります。美味しかった。
余談余談。
伝統芸能も案外気軽に行けるかもしれない話
受け継がれる伝統芸能、という敷居の高さから気軽さを相当に失っている歌舞伎ですが、能楽・浄瑠璃の類はそれ以上でしょう。能面や人形浄瑠璃と言った関連語句は知っていても、単語として知っている程度の枠からは中々出ません。
勿論現在も演じられており、清姫伝説に関するものですと2017年には鐘巻が、2018年の12月、2019年の1月には道成寺がそれぞれ国立能楽堂で演じられています。
調べてみると結構値段は(想像よりも)リーズナブルで、学生だと学割込みで数千円程度です。
そう捉えると一度くらいは足を運んでみようかな、とも思えますが、競争率が相当高いようで、道成寺を見に行こうかと発売日にチケットを買おうとしたらすっかり売り切れていました。
先行販売があったのか、それとも発売直後に直ぐ埋まったのか……。いずれにせよ、残念ながら見に行くことが叶わず相当悔しい思いをしました。
これはどの伝統芸能も比較的そうなのですが、リピート客が非常に多いのです。
歌舞伎を例に挙げると一つの部(複数の演目を午前午後に分け、それぞれ午前の部、午後の部としている)をおおよそ一か月ほどやるのですが、人によってはほぼ毎日通う人までいるそうな。
一番安い席でさえ樋口さんが軽々飛んでいくというのに……人気の役者と演目が出た日にゃ、松竹の先行販売だけで殆ど埋まってしまう程です。
清姫伝説の能楽の話
さてはて、清姫伝説の芸能の流れを辿ると能楽に辿り着きます。
ちょっと能楽の話をしましょうか。
江戸時代以前には猿楽と呼ばれ、平安時代の頃は寸劇のような形だった物が鎌倉時代以降、翁猿楽という形式が発展し、更には社寺と結びつき祭礼などで行われる……簡単に言えばお寺・神社の行事で行われるようになりました。
そうして他の芸能を吸収しつつ、ほぼ今の能楽と変わらない形になったのだとか。
観阿弥・世阿弥という名前を教科書で見て語呂の良さから頭に残っているかもしれません。この二人は親子なのですが、能楽の作者ですね。この二人のお陰でますますの発展を遂げたそうです。
話が少し逸れましたが、清姫伝説を取り扱った能楽として『鐘巻』と『道成寺』があります。
どちらも詳細は不明なのですが1400~1500年代、『道成寺』が観阿弥・世阿弥どちらかの作だと残る文献もあります。
二つの内『鐘巻』は完全に失われてしまったようで、文献に残るのみです。現行で演じられているのは黒川能という東北の能楽の一つに残る演目であり、大本の『鐘巻』は見る事が叶いません。
ですが、現在も演じられる『道成寺』は『鐘巻』の改良版とも言える演目で、一部を省略したり変えています。
また、歌舞伎やその他芸能作品の『道成寺物』へと後世で派生していきました。あらすじは後日譚、白拍子が鐘供養へとやってくるあのお話です。但し、歌舞伎と比べると能楽は儀式としての面が強いため、非常に簡素な物です。歌舞伎に見慣れていると退屈と感じてしまうかもしれません。
文化デジタルダイアリーという芸能作品の履歴を見る事の出来るホームページがあるのですが、能楽の『鐘巻』『道成寺』共に数年から十数年に一度演じられる程度の頻度でした。
歌舞伎は公演回数も多い為年に一回以上は道成寺物の何れかが上演されているのですが、能楽はその比ではない程にレアです。
御安心を、能楽の『道成寺』はDVDになっていますので見てみたい方はそちらもご参照くださいませ。
定期的にどっかの回し者っぽくなる澄姫さんでした。
今回はここ迄。御読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。