澄姫です。
だんだんと寒くなってまいりました。
寒くなってくると温かいお茶が美味しくなってきますね。澄姫さんはほうじ茶が大好きなので冬場だと一日一回は土瓶いっぱい淹れます。お陰でトイレが近くなる。
一日中家にいるときはそれ以上に淹れるので、茶葉の消費がすさまじい。一冬で使い果たすレベル。
なお、澄姫さんは猫舌なので熱いお茶を中々飲めず冷めるのを待つ模様。それでもお湯を沸かして淹れなければ気が済まない。
外出の用事があるときはコンビニなどでホットのお茶を買います。場所によってホットドリンクの保温設定がまちまちなので、油断をしていると熱くてたまらない。コーヒーもたまに飲む。紅茶は飲まない。紅茶、香りと味が違いすぎて裏切られた気分になる……なりません?
茶葉は全部同じはずなのに、この違いである。
『近代能楽集』についての話。
『近代能楽集』とは名の通り、能楽の謡曲を近代風にアレンジしたもの。
御存じ道成寺のほか、邯鄲・葵上・綾の鼓・卒塔婆小町・班女・弱法師・熊野の八作が収録されています。ウィキペディアにはもう一作、源氏供養という物があったようですが作者自身が気に入らなかったのか廃曲になっている模様。
作者は言わずと知れた文豪三島由紀夫。『豊饒の海』『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』などなど、今でも読まれ続けています。教科書には載っているんでしょうか。載っていてもおかしくない。僕は近代能楽集以外読んだことないですけども。
三島は一時はノーベル文学賞の候補にも挙がっていたようですが、何よりもその死に様が壮大で有名ですね。1970年11月25日、数名の同志と共に自衛隊の市ヶ谷駐屯地を訪れると総監を人質にして自衛隊に決起を促す演説をしました。簡単に言えばクーデターですね。その後に割腹自殺を遂げています。
まあその日演習で駐屯地はほぼ空だったとか、肝心の演説マイクは用いず野次でほぼ聞こえていなかったとかお粗末な終わり方をしていますが。この辺はだいたいウィキペディア。
一方作家としては短編長編小説、戯曲、エッセイ、評論、随筆など多岐に渡ります。あと俳優などもやっていたような。だいぶ自己顕示欲が強い。なお太宰治の事は嫌いだったそうです。
だろうなぁって感じ。
『近代能楽集』ですが、日本国内のみならず海外でも公演が催されています。それなりに好評だったようですね。作家としての三島は本当に凄いようである。
さて、『近代能楽集』には道成寺があるというのは既に言いました通り。
今回はそんなお話になるわけで。
『近代能楽集』の内一幕、『道成寺』の話。
道成寺といえば、道成寺が清姫に焼かれた鐘を新しく作ってわーいしているところに白拍子がやってきて、女の人はダメだけど踊るんなら良いよという坊主たちのゆるふわ認定のもと踊っていたらだんだん鐘が恨めしくなってきて、これはたまげた白拍子は実は清姫の怨霊であったのだ、鐘に恨みは数々御座るーと大騒ぎする話です。
説明が雑。
その道成寺を近代風にアレンジしたものがこれです。雑誌『新潮』の昭和31年1月号に発表され、翌32年3月刊行の戯曲集『鹿鳴館』に収録されたそうです。1960年にはメキシコでも翻訳上映がされたとか。
元々の道成寺と具体的に違うところといえば、鐘は出てこないし白拍子でも出てこないし、なんならお寺も坊主も出てきません。あと踊りません。何もかも違う気がする。
例えば白拍子花子、実は清姫の怨霊は清子という踊り子の女性になっています。確かに清姫の名前を近代風にすると清子になる。
一応安珍の役割の人も居て、安という名になっていました。
そして鐘ですね。鐘の代わりにタンスとなっています。その大きさたるや、服ならば1000着でも入り、中に入って運動ができるほど。4面ガラス張りで、中でそのまま着替えができるように電灯まで付いているとのこと。更には外からも中からも鍵がかけられるとか。
そもそも家に置けなさそう……。
物語のあらすじはこのタンスがオークションにかけられ、いくらいくらと参加者が値段を上げていく最中に清子が乱入し、タンスのいわれを語り、問答を繰り広げて中に入り込んでしまう……といった流れ。
だいたい道成寺って感じですね。
そこまで長いお話ではないので、ぜひとも読んでいただければといった所存。
『近代能楽集』は新潮文庫で文庫化されているので、気軽に読めます。道成寺以外も面白いと思うので、是非是非。
ちょっと短めですが、今回はここ迄。お読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。