澄姫です。
清姫伝説の聖地と言えば、舞台となった道成寺始め和歌山県。
結構な数の史跡が残りますが、その全てを一日で回ろうとするのは難しいかもしれません。車があれば相当に楽になると思いますが、それでも慌ただしい事請け合いでしょう。
そんな和歌山県の奈良・大阪を挟んだ日本海側に、長らく日本の都として鎮座し、今もその歴史を求めて国内外から多くの人が集まる場所、京都府が御座います。
京都と言えば修学旅行の定番でもありますね。人によっては小中高と三連続で京都という人もいるようで……なお僕は通り過ぎた事は多いですが京都へきちんと行った事がありません。余談余談。
さて、何の意味も無く京都の話はしないのがこのブログ。清姫と関係が無きにしも非ず。
安珍が京都鞍馬寺の僧だった、という話もありますからね。
道成寺の鐘の話
ですが今日の話は安珍清姫、ではなく。
清姫伝説でなんだかんだ一番不幸な人物……否、物であるこのお方……このお鐘?
道成寺の鐘さんについてです。
この人……この鐘は清姫伝説では安珍を隠したが為に焼かれ、道成寺物では安珍を隠していたが為に恨まれ、と散々な目に遭っています。
CHECK【鐘への恨みは】『道成寺物』について
道成寺の鐘は二代目が鋳造されましたが、紆余曲折を経て現在は京都の妙満寺というお寺に安置されています。冒頭で京都の話をしたのはそういう事ですね。
ではそんな悲運たる道成寺の鐘の人生……鐘生……いや生きてないのでなんと言えばいいのでしょう。ややこしいな。歴史で良いですね。道成寺の鐘の歴史。
道成寺の鐘の歴史の話
先ず清姫伝説ですと、老夫婦の話にあるように周囲の住民の金物が掻き集められて道成寺の鐘が出来上がります。老夫婦の犠牲の上に成り立っているような感じですね……。
んで、えっちらおっちらと嘘吐き逃走野郎こと安珍を自らの中に隠しますが、清姫によって焼かれます。日高踊では「湯になりた」とまで言われていますから、ほぼ跡形もなく燃やされたようですね。この燃えカスから老夫婦の鉈が残りますが、鉈一つ残っても元通りには出来ません。
そして1359年の3月11日。
妙満寺によるとこの日に道成寺二代目の鐘が鋳造されましたが、その鐘供養の場に白拍子がやって来て「鐘に恨みは数々御座る―!」と騒ぎを起こします。なんと花子さんは清姫ちゃんの怨霊だったのだー、という道成寺物のお話ですね。
それ以来、近隣に災厄が頻発したので清姫の祟りだと恐れられて鐘は山に捨てられてしまいました。なんとも執念深い清姫。現代でも妙なことが起こると清姫の祟り扱いされているので、千年経っても時効ではない模様。
それから200年たった1585年。
秀吉の紀州攻めの折、とある武将が鐘を京都に持ち帰り、妙満寺が供養を行って今に至るのだそうです。因みに、この時の紀州攻めで道成寺は焼き討ちに遭い、清姫の一族である真砂一族の本家も滅亡しました。おのれサル。
ふんだりけったりながらも波乱万丈な鐘の歴史。
清姫伝説を鐘視点から見ても中々に面白いですね。
そして今、FGOの中では薙刀めった刺しの目に遭うのだった
ちゃんちゃん
今回はここ迄。御読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。