澄姫です。
常日頃和歌山県へ旅に出たいと思う澄姫さんです。
清姫の聖地もさることながら、ご飯も美味しいし風土も良い。あまり目立つことのない県ですが、ふらりと目的のない旅をするには相当に心地が良さそうな場所だと思います。
元々旅や散歩が好きなので、また近いうちに和歌山県へは行きたいですね。多分一人旅でしょうけれど。
一応考えますがプランなどあってないようなノリで行動をするので、あっちへこっちへと寄り道が非常に多いのです。
そんな感じで気ままに行動出来るのが一人旅の醍醐味。旅でなくとも普段鉄道に乗っていても時間があれば気になった駅でいきなり降りちゃったりするのが澄姫さん。
同行者がいるとそうはいきませんからね。気心が知れていないと難しそう。
熊野を目指す安珍の同行者、老僧の話
はるばる奥州は白河より熊野参詣を志しやってきた安珍ですが、一人ではありませんでした。
今昔物語集巻第十四『紀伊の国の道成寺の僧、法花を写して蛇を救へる話第三』、なんかもう見てくれている人は覚えてそうですね。その時手元にある資料で表題を読み下し文にしたり原文にしたりするので平仮名が入ったり入らなかったりしますが(紀伊国道成寺僧写法花救蛇語第三が原文)。
兎にも角にも、今昔物語集の清姫伝説の冒頭はこう始まります。
今昔、熊野に参る二人の僧有けり。一人は年老たり。一人は年若くして形皃美麗也。
池上洵一編『今昔物語集 本朝部(上)』岩波文庫
今昔、で始まるのは今昔物語集の特徴ですね。これは慣用表現となっていますが、元は『竹取物語』の冒頭です。『今昔』の漢字2文字、平仮名6文字の解釈や論述だけで分厚い本が丸々一冊出来上がるほどだそうですが、それはさておき。
形皃美麗(脚注によれば形皃は容貌のこと)な僧侶は分かりますね。我らが安珍僧です。
ですがその前に一人、安珍よりも早く登場している人物がいます。年老いた僧、老僧です。
誰だコイツは、となりますね。
そう、安珍は一人じゃなかったんです。一人旅ではなく同行者がいました。
この老僧は安珍とともにやってきて安珍と共に清姫の屋敷に泊まりました。
つまり清姫ちゃん、自分と安珍以外の第三者が居るのに夜這い仕掛けていたんですね。ばれたらどうするつもりだったんでしょうか。
まあほかにも侍女とか居ましたし完全に二人っきりで一つ屋根の下ではありませんでしたが。
因みに、安珍と老僧は別々の部屋で休んでいたみたいです。流石にそんなスリルは無かった。
老いた僧の多き謎
では一体全体この老僧は何者なのか。
近現代の清姫伝説を描いた小説では安珍の師として描かれます。即ち、安珍はこの老僧の弟子。
確かにそう考えるのはしっくりきます。年の離れた二人の僧侶の関係性と言えば妥当なところでしょう。しかしながら、師弟関係というのは小説作品での創作に過ぎません。
ならば原典にどのように描かれているか……。一番頻出しているのが『今昔物語集』ですのでそこから見ていきましょう。
まず冒頭に安珍と共に熊野を目指している描写があります。
その後、安珍が帰らぬことを不審に思った清姫が道行く人に行方を尋ねますが、その場面で清姫は『若い僧侶と置いた僧侶の二人組を見なかったか』と尋ねます。清姫さんも老僧の存在自体は認識していたようですね。
そして清姫が追ってきていると耳にした安珍ですが、その時に二人組の僧侶と書かれていますからこの時も一緒です。
やがて安珍が道成寺に逃げ込んで鐘の中に隠して貰った後、老僧は寺の僧侶と一緒に隠れたとあります。
最後に安珍が灰すら残らぬ程に燃やされた後。老僧は安珍の死を泣き悲しんだそうです。
ちょこちょこ出ていますね。ただ物語の本筋には殆ど関係が無いといってよいでしょう。
ここで疑問。なんでこの老僧をわざわざ登場させる必要性があったのでしょうか。
今昔物語集の清姫伝説に限定して考えると、意味のない登場人物はほぼいません。清姫の侍女ですら、山奥の女が独り身で住まう生活を垣間見させてくれる役割を持っています。
しかし、老僧が居なかろうとデメリットはありません。正確に言うと、老僧を登場させることによって描写の手助けとなったりするメリットが感じられないように思います。
無論、安珍が僧侶としては若輩者であり、その安珍を教え導く存在が居て然るべき、むしろ登場させる事によって安珍の未熟さを際立たせている、と考えるのが一番妥当かもしれません。
ですが、老僧と安珍の関係性は全く記述がありません。ネットの海で見かけた一説では放蕩していた安珍を改心させたのがこの老僧であるともされますが、詳細は不明です。
そしてだんだんとこの老僧は描かれなくなっていきます。これは侍女も同様ですね。
小説作品になるとやたら存在感を増しますが、それも侍女同様。
最後に一つ。
安珍や清姫という存在を創作できても、老僧は創作しにくいと思います。何故なら上で述べた通りあんまり必要のない存在だからです。創作してしまったのならばしてしまったで、師弟であるだとかを付け加えてしまいたくなるでしょう。ですが、安珍との関係性は不明なまま。
となると、まるで本当に若僧と老僧が本当に熊野を目指した居たのではないか……と、いつものお話。
今回はここ迄。御読み頂き有難う御座いました。
では次回も……清姫の話をするとしよう。