清姫の話。【旅難】清姫の聖地に行ったら軟禁された話

私が燃やしました 清姫の話
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澄姫です。

旅は良いものですね。仕事とかでない限り、原則としていきたい場所へ行くのが旅というもの。前々から行ってみたかった名所や食べたかった特産品、お土産やインテリアには名産品。温泉や景色、お祭り、はたまた鉄道やバスの公共機関も旅の目的になります。

さてはて、清姫伝説をふまえて旅をするとなれば何といっても紀州和歌山、舞台となった道成寺も清姫の地元である真砂も安珍が目指した熊野も須らく和歌山県でございます。

僕も何度か足を運ばせて頂いておりますが、非常に長閑で落ち着く場所でした。……長閑って誉め言葉かな。良いところだよ。僕嘘つかない。

しかし旅というものは時として災難に見舞われます。

今回は僕が和歌山県に行ったら軟禁されたときのお話。
紀行文みたいなもんです。多分。ちょっと長め。普段の記事に比べたらだいぶ長め。

台風直撃 in the 和歌山

2018年の9月初頭。僕は清姫伝説の聖地巡礼を主な目的として和歌山県へと赴きました。

一方遠く太平洋の沖では、とある風雨が世間をにわかに騒がせていたのであった……。
その風雨に向かって突っ込んでいくことになっていたけれど、まあいいかと旅は始まるのです。間抜けかな?

9月2日:いざ和歌山

そうだ清姫の地元に行こう。という事で、三泊四日和歌山清姫聖地巡礼の旅をする事になった。

決めたのは八月の末日である。そう、二日前に旅は決まった。
理性は捨ててきた。今回の旅には付いてこられそうもない。

鉄道を乗り継ぎ、大阪方面から南下する形で和歌山県へ入ったのは夕方にもなる時刻。阪和線からきのくに線(和歌山~新宮間の紀勢本線の愛称らしい)を乗り継ぎ、途中一度道成寺駅で下車。

次の電車までのおよそ一時間、何回目か分からなくなってきた道成寺へ向かう。

道成寺でテンションが上がり写真を撮りまくる澄姫。勢いそのまま裏手の蛇塚へ向かう。そうこうしている中、ふと空を見上げると虹がかかっていた。道成寺で虹が見れるという貴重な経験により一層テンションが上がる。

夕暮れに差し掛かり、更には燃え上がるような夕焼けを見る。しばし見とれ、忘れられない景色を「焼き」付けて宿泊地の紀伊田辺へ向かう。

辺りもすっかり暗くなった頃合い。澄姫は紀伊田辺駅に到着し、そのまま宿泊施設へと向かう。特にアクシデントも無く、適当に近くのコンビニで買ったご飯でお腹を満たし、FGOをしたり静かで寂しいからと無為にテレビを付けたり(まるで田舎のお婆ちゃんみたい)長旅の疲れを癒しながらゆっくりと時間を過ごし、就寝。

おやすみなさい。

9月3日:清姫の地元真砂

快晴。朝早くに無理矢理目を覚ました澄姫は昨晩に買った物の残りをお腹の中に入れ、トートバック一つぶらさげてホテルを出た。多分6時過ぎくらい。

本日の目的地は清姫の生まれた里、真砂である。

ホテル目の前のバス停でバスを待ち、やってきたバスに乗車。これまたうろ覚えだけれど、方角的に発心門王子行のバスだったと思う。早朝なので非常に空いていた。

バスに揺られる事40分ほど。

バスは田辺市街から山の方へ向かい、富田川の沿いを走る。途中、バス停「清姫」にて下車。自身の名前が1,000年後にはバス停になっているなんてどこぞの姫様は知らなかっただろう。

このバス停「清姫」こそ、清姫の墓所の最寄なのだ。

時刻は7時過ぎ。お墓の前で手を合わせ、清姫の冥福を祈った後澄姫は清姫の菩提寺である「一願寺」に通じる坂道を歩き始めた。歩く事30分ちょっと。一願寺が見えてきたが……そのまま通り過ぎる。

今回の旅の目的の一つに、前回の聖地巡礼でたどり着けなかった「捻木の杉」という清姫の激情で捻じ曲がってしまったという逸話の残る杉を見に行くことがあった。

澄姫は歩く事をあんまり苦としないというか、地図は読めても阿呆なので歩いて向かおうとしたのである。直線距離では三キロ程度だが、曲がりくねった峠道なので往復15キロくらい。今思い返しても阿呆である。だが、清姫の聖地見たいもんね。

道なりに進む事、2時間。2時間。山のほぼ反対側にある集落に辿り着き、そこからまたちょっと歩いて無事捻木の杉へ。正直この辺りで帰りのことは考えたくなかった。

そのまま(なぜか)「ここまで来たんだし文献によっては名前の登場する潮見峠に行こう!」と行脚を再開。が、潮見峠に向かう道(アスファルトなど無い完全な山道)が途中で崩落しており、やむなく引き返す事に。

さて、来ちゃった以上帰るしかない。同じ道をまた2時間かけて戻り、途中一願寺で休みつつまた写真。お墓の前まで戻ってきたのは殆どお昼。小休止を挟んで今度は「清姫生誕屋敷跡」に向かった。

桜の木が植えられていた。何時か、清姫の生まれた場所に桜が咲く。その事実だけで澄姫は泣いてしまった。限界オタクにもほどがある。

既に五時間くらい歩きっぱなしなのでお昼ご飯を食べたいのだが、真砂にはコンビニはおろか食事処なんてものはない。なのでまた歩くしかない。

バス道を30分ほど歩くと、滝尻王子に辿り着く。近くにある熊野古道の観光センターで売っていたカップ麺を一つ食べ、更に文献もいくつか購入。現地でしか買えない本があるのだ。

さて、今日はもう帰ろう……というわけにもいかず、またバス道を歩く。なんでか知らないが歩く。実は「清姫覗橋」というものがあるのだとフォロワーさんから聞いていた澄姫は見に行こうとしたのだが……橋を間違えてだいぶ彷徨う羽目に。

バス停四つ分くらい。やっぱり阿呆である。(情報のツイートをよく見ていなかったことが勘違いの原因)

無事清姫覗橋が見られたので近くのバス停でバスを待つ、事もせずまたもや何故か滝尻王子まで引き返す。清姫覗橋からは徒歩40分くらい離れているんですけどもいったい何を考えていたんだろうか。正直、バスの本数が少ないので暇つぶしだったんだと思う。

結局清姫のお墓まで戻った。橋からは一時間以上かかるんだけど本当に何を考えていたのか。

この日は7~8時間くらい歩きっぱなし。しかも半分以上坂道という超ハードな行脚だった。思った以上に自分の体力があることを認識する。好きの熱量に突き動かされた一日でした。

翌日。また別の意味でエネルギーの塊が襲来する。

9月4日:台風21号、直撃

この日、非常に強い勢力と言うフレーズに間違う事なく、直撃した台風21号のエネルギーは半端ないものだった。

どうせ台風で何処も行けないだろう、と諦めていた澄姫は前日の疲れもあってお昼近い時間に起床。すると、窓の外が見えない。あまりの雨量に窓一面が雨に濡れて外の様子が碌に窺い知れない程である。

とにかく風もすごい。ただの雨であれば窓が雨粒で見えないと言っても精々のところ、大雨と言っていいほどの雨が全て風で流されて横殴りになっていたのだ。

本来、この日は道成寺にでも行こうかと思っていたのだがそもそもホテルから一歩も出られないような状況だったので断念。

大人しくホテルの一室でゴロゴロとし、テレビをつけて台風情報を見たり惰眠をむさぼったり清姫研究の資料をまとめたりゲームの周回をしたりして過ごす。ついでに、ホテルの方にお伺いを立てて一日延泊することとなった。

夜にもなるとだいぶ落ち着いてきたので、夕食の調達に外へと出てみる。嵐が過ぎ去った和歌山県はシンとしていた。それでもコンビニとかは動いているのだから、凄いと思う。語彙力が無い。店員さんありがとう。

明日こそは道成寺行きたい、と思いつつ布団の中へ。丸一日一緒にいたんだからマブダチだなぁ。

9月5日:軟禁、そして山奥で孤立

起きたら晴れていた。わーい。

という事で朝食を済ませるとルンルン気分で駅の方へ。大体10時過ぎだったと思う。
が、それどころではなくなる。

台風の影響はすさまじく、大阪ではタンカーが橋に衝突して空港が陸の孤島と化す・軽トラックがあおられて転倒・工事の足場が倒壊、などなど惨状となっていたが和歌山県も例外ではなかった。

早い話、紀伊半島の先端も陸の孤島と化し、僕は軟禁状態にあったのである。

紀伊田辺を通るJR紀勢本線は倒木の影響などで運転見合わせ。大阪に向かう幹線道路も通行止め。駅員さんに話を聞いたところ、復旧の見込みが何時になるか分からない。今日はちょっと厳しいかもしれない、とのこと。

道成寺にいくことはおろか、帰れるかどうかが分からなくなってしまった。

清姫の聖地に来たら軟禁状態になるとは、清姫が帰してくれないよう、などと冗談を言っている場合でもなくやばい。高速バスなども考えたが、道路が通行止めなので出発できるか分からないと言う。

なので澄姫は「帰るのは明日だし明日もダメだったらその時考えよう」と早々に気持ちを切り替え、温泉へ行くことにした。何を言っているか分からないと思うが軟禁状態になったので温泉に行くことにした。危機感/Zeroである。

和歌山県を流れる日高川、その上流には「龍神温泉」という温泉がある。何やら美人の湯であるという事で、前々から行ってみたいと思っていたのだ。幸いなことに龍神温泉行のバスは動いていたので、龍神温泉行のバスに乗車。

揺られる事一時間半。途中峠を一つ越えて、日高川の川沿いをバスは登っていき龍神温泉へ。下車するとき、運転手さんに話しかけられる。

「君、旅行の人? いま龍神温泉停電していて多分入れないと思うけど……」

そういえば途中の交差点の信号機ついてなかったぁーっ!!!!!

無情にもバスは行ってしまったので、澄姫は一人、停電した山奥の温泉村に孤立したのだった。

何もする事が無い。停電していて温泉は入れないし、お店屋さんは碌にないし、近くを流れる日高川は増水していて茶色だし。

更に恐ろしいことに、バスの時刻表を確認すると帰りのバスは数時間後。しかもそれが最終バス。つまり乗り遅れたら、全く知らない場所に置いてけぼり(しかも一帯は停電中)なのだ。

バスに乗った紀伊田辺からは一時間半くらい乗っていたのだから、おいそれと帰れる距離でもない。スマートフォンは使えるには使えるのだが、山奥という事もあってか電波が繋がりにくい。

人生で最大の不安が訪れた瞬間である。

だが、いくら焦ってもやっぱり何もする事が無い。温泉に入れない温泉村はただの寂れた山奥の村であり、有態に言えばド田舎である。バスは一日一度来る、って殆どそのレベルのダイヤ運行だ。ド田舎である。

仕方が無いので、やっぱりその日も歩くことになった。バスの道は川に沿っているから、その道を戻っていく。特に決めてはいなかったが、バス停を数駅分戻ろうと決めた。

道の脇には凄い量だ折れた枝が転がっていたので、適当に拾っては川に放り投げて遊んでいた。それしかする事が無いんだもの。途中喉が渇いたので自動販売機で水でも買おうかと思った。

だが思い返して欲しい。一帯は停電しているのだ。

つまり自動販売機は勿論動いていない。この瞬間自動販売機は自動でもなければ販売もしてくれない、ただの機になっていた。

実に無力である。人は電気に使わされているのだ、と壮大で哲学っぽいことを考えたけども、轟音を立てて流れる増水した日高川を見るとそんなこともどうでもよくなってきた。

無事に、帰れるのかなぁ。

ひたすらに歩く。和歌山県に来てから歩いてしかいないのではないか。橋を越え、トンネルを抜け。トトロでもいそうな草に侵食されたバス停を過ぎ、3,4駅分バス停を戻ったところであと一時間くらいでバスが来るとわかった。

逃してしまってはたまったもんじゃないので、そこで待つこととした。

持ってきた本はすぐに読み終わってしまったので、近くの石を拾っては日高川に向かって投げていた。人は、石と川さえあれば結構時間が潰せるものである。

やがてバスはきた。運転手さんありがとう……澄姫はぐったりとバスの座席に座ると、また一時間半かけて紀伊田辺へと戻ってきたのだった。

この日、結局何もしていない。彷徨っていただけである。

だが、停電した山奥の村で無為に過ごし、非日常感を味わえたというのならば良い日だったのかもしれない。少なくとも、旅という気はした。何とも懲りない澄姫である。

9月6日~7日:帰宅

いい加減長くなってきたので締めようと思う。

停電山奥温泉村の翌日、ホテルをチェックアウトし、鉄道が復旧していたので乗車。またもや一度道成寺で降り、色々資料を買いあさったりして大阪へ。大阪に伝手があったのでこの日は大阪に一泊。

さらに翌日の7日。行きと同様、鉄道を乗り継いで無事帰宅。

本来は3泊4日の所が5泊6日となってしまったのだから、波乱万丈の聖地巡礼であったことは間違いない。災害災難に見舞われるも、それすら結局は楽しかったと思えるのだからやはり理性は置いてきていたんだろう。

いやはや、旅は流れに身を任せるというのも風情があって宜しい。ただいま。


だいぶ長くなりました。

多分僕は本当に懲りないので、また旅に行って思わぬ災難に遭って何処ぞで悲鳴を上げると思いますが、帰ってきたら良い土産話として方々に触れ回る事でしょう。それも旅の醍醐味と言えますから。予定通りはつまらないですものね。

以上、行き当たりばったりの旅が好きな澄姫さんの清姫聖地巡礼紀行文で御座いました。

今回はここ迄。御読み頂き有難う御座いました。
では次回も……清姫の話をするとしよう。