清姫の話。【巡礼】道成寺に鐘を見に行った話。

俯瞰する清姫 清姫の話
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澄姫です。

澄姫
澄姫

皆さん旅は好きですか。

この始まり方、前にもやった気がしますね。本当にこの一年半で旅や遠出という単語とは疎遠になりました。段々と日常生活に戻っていけそうな気配も垣間見えますが、未曽有の状態故世間が明日にはどうなるやら知れぬもの。

それはそれとして、旅に出たいなら旅に出ましょう。特に人がいない場所へ行くのには問題がないでしょうし。和歌山県とかオススメですよ。

というわけで幾度目かの紀行文で御座います。
今回は清姫関係でビッグイベントがあったようで。

では、清姫の旅の話をするとしよう。

鐘の無い寺に鐘を見に行く旅をした@一日目

2021年11月3日。世にいう文化の日である。

日本国憲法でも最低限文化的な生活を営む権利云々の条項があるように、文化に慣れ親しむことは国民の権利である。なので和歌山県に行って道成寺でも行くことにした。実に文化的である。我々が清姫の聖地を巡礼することは和歌山の郷土文化に触れる行為の一端で有り、つまり憲法に保障された権利の行使に他ならないのだ。

清姫だけじゃなくて全ての聖地巡礼は権利として保障されている。御託はいいとして。

普段和歌山に行くときはのんびりと1日かけて移動する澄姫であるが、今回は雑に課金をして新幹線と特急くろしおを乗り継いだ。道成寺の隣である御坊駅に着いたのは昼過ぎの事。次の電車が1時間以上も先という状態だったので、御坊駅から道成寺までは歩くことに。

線路沿いを30分ほど歩けば、道成寺の裏手に辿り着く。秋晴れで紀行も最適だったので歩いても苦にはならなかった。

道成寺の裏手に辿り着いた澄姫は、まず清姫を弔ってある蛇塚に手を合わせ、道成寺の境内へ。
するとそこには……

鐘バルーン
青空を背景に浮かぶ鐘バルーン

なんか浮かんでいた。

というのも、この期間道成寺には普段京都の妙満寺にある道成寺二代目の鐘が里帰りしているのである。二代目の鐘の施主万寿丸の生誕700年をお祝いする催しの一環で、このバルーンもそれで浮んでいるらしい。

鐘の無い寺に鐘を見に来るとはこれ如何に。

澄姫は何度も道成寺に来ているが、こんなに人が多い道成寺は初めてだったのでびっくりした。

本堂のど真ん中に件の二代目の鐘は鎮座していた。普段安置されている妙満寺の方へも赴いたことはあったが、そこよりも堂々たる振る舞いで置かれていた。因みに二代目の鐘だけではなく、道成寺の秘仏である千手観音も公開されていた。なんだかんだ京都に行けばいつでも見られる二代目の鐘に比して、寺の秘仏は滅多に開帳されることがないため結構貴重なものを見た。

澄姫の行った文化の日には琉球の道成寺物であると言われている『執心鐘入』も境内で上演されていたのだが、澄姫は予約をしていなかったので遠巻きに見るしかなかった。

いつもの通り、宝物殿の方も拝観させて頂き、実に数年ぶりに絵解き説法を聞かせて頂いた。住職さんではない方が説法をされていたが、こうして継承されていくのは良い事だなぁとよく分からない立場で感慨深くしていた。

そしてお昼はOTERAMAE RESTAURANTあんちんへ。あんちんうどんを食べた。美味しかった。
食レポが下手。

あんちんうどん
あんちんうどん。

お昼も食べ終わり、道成寺の散策も一通り済んだので今日の所は宿泊地の紀伊田辺へ移動し、休むことへ。前に行って美味しかった居酒屋へ行き、じゃばらのお酒を飲むなど風土を満喫した澄姫はホテルでごろごろしたり道成寺で買った万寿丸生誕700年を祝って作られた小さな鐘をチリンチリンならして遊ぶなどし、世は更けていくのであった。

おやすみなさい。

熊野本宮大社は遠いと思う。@二日目

二日目。この日は清姫のお墓方面へ向かう予定でいた。

朝食付のホテルだったので朝食を簡単に済ませると、駅前から熊野本宮大社方面のバスに乗車。最初の目的地である、バス停清姫までは四十分程度。朝の通学時間に自転車で爆走していく中高生を眺めながら、やがてバスは清姫に辿り着いた。

富田川流域の静かな一角にある清姫のお墓は閑散としていて、いつ来てもぽつんと取り残されるような非日常感がある。そのくせ、川の方からは水遊びをする声や、近くのバス通りからはひっきりなしに車のエンジン音が聞こえるものだからちぐはぐ感がある。

それっぽく書いてみたが、要は清姫のお墓は良い所。どこを見回しても山しかないし、足元には川。だからと言って完全に隔絶されたような場所でもなくて、人の生活のそばにいるんだな、という気がする。

せっかくなのでお線香をあげ……あげ……火が全然つかないが何とかあげ、今回はこれまた数年ぶりに清姫の菩提寺、一願寺の方へ。緩やかな上り坂を進む事四十分程度、一願寺へと辿り着く。以前訪れた時ととくに変わりはなく安珍……ではなく安心して、またお線香やらリーフレットやらを買ったりなんだりをして過ごす。

一願寺名物(?)黒焦げとなった安珍

そしてまた清姫の墓所へと戻ったところで丁度良くバスの来る時間。これを逃したら軽く一時間以上は来ないのが清姫のお墓の定め。もう滝尻まで歩くしかなくなってしまうが、無事乗車できたのでそのまま熊野本宮大社まで向かう。

さてはて、一願寺の道中をなんだかんだ歩いたので、本宮大社に到着してすぐお昼。今度はそばを食べた。足りなかったので熊野牛の丼物も食べた。美味しかった。
食レポが下手。

お昼の後はちゃんと本宮にお参りをした。まつられているのがイザナミ・イザナギ・スサノオ・アマテラスなのだが全員賽銭箱が違うのだ。確かにお賽銭の振込先違うだろうし、イザナギイザナミは離婚して口座を分けただろうから仕方がないのかもしれない。それぞれにお賽銭を入れ、本宮大社を後に。

その後は日本一の大鳥居、大斎原へ。この鳥居があるのは、明治のころに洪水で流されてしまった旧社地にある。相変わらず遠目から見ると縮尺がおかしく見える鳥居だが、木製ではなくコンクリート製。足元まで行くと首が痛くなる。

日本一の大鳥居。

鳥居を抜けて近くの熊野川へ行くと、なぜか石が積まれていた。一つ二つではなく何十個もあったから、みんな石を積んでいったのだろうと思う。賽の河原みたいだった。熊野本宮大社ともなれば、異界も異界だろうから現代の賽の河原とするならば一番ふさわしい場所だろう。

その後は紀伊田辺方面のバスに乗ってホテルへ。一本バスを逃すとなかなか来ないのはここも同じだが、それ以上に最寄り駅までが遠い。バスにもよるが、一時間半から二時間はかかるので時間配分が思ったより難しかったりするのだ。

何より本宮大社のまわり、山奥過ぎて何もない。中辺路等の熊野古道を散策しても良いが、それだと今度は一時間二時間では足りなくなってしまうので時間を持て余す羽目になるのである。

そんなこんなでまた紀伊田辺へ。ホテルに戻って夕食を済ませたら、またお布団へ。
おやすみなさい。

和歌山と大阪は実は隣り合っている。@三日目

三日目。
今回の旅程は二泊三日だったので、帰路につかねばならない。普段ののんびりルートであれば早朝にホテルを出ねばならないが、今回は移動に課金をしているのでゆっくりと朝食。

その後一昨日ぶりの道成寺へ。平日であることも相まってか、まるで人が居なかった。人が多くてゆっくりできなかった境内の散策を済ませたら、またもやあんちんでお昼ごはん。うどんではなく唐揚げ定食を食べた。美味しかった。以下略。

お土産のつりがねまんじゅうなどを買ったところで、大阪へと向かう。帰りの予定は何とサンライズという寝台車の予定なのだ。澄姫人生初の寝台車。

なのはいいが。寝台車というだけあって出発は日付を跨いだころ。一方大阪に到着したのは四時頃。八時間も何とかして時を過ごさねばならない。一先ず荷物を整理し、鶴橋へと向かった。どこかと申せば駅の周辺に焼き肉屋がとても多い焼き肉の聖地のような場所である。

適当なお店を見繕って転身火生三昧。ホルモン系のお肉が多めだったので噛めば噛むほど味の染み出してくる具合と言ったらたまらず、白いご飯の合う事。

その後は暇だったので道頓堀から通天閣まで歩いた。何故か澄姫は時間が余ると歩くのである。
それでもなお時間が余ったので、大阪駅の構内でふらふらして適当に時間をつぶした。大阪駅のプラットホームを上から見ると結構壮大でおススメ。

やっとのことで寝台車に乗り込んだ澄姫はお酒をラウンジで飲みつつ、頃合いを見て個室へ戻り執心。ではなく就寝。
翌日の昼前に、何度かお家へと戻ってきたのでした。帰る日だったので出来事は少なめ。

ただいま。


澄姫幾度目かの清姫聖地紀行文、以上の通りでございます。

清姫の聖地や道成寺はもう数えるのをやめるくらいには訪れさせていただきました。
それでもなお、来てよかったなぁと思える空間で御座いました。大変なご時世ではありますが、皆さまも清姫の聖地へ如何でしょうか。

人は少ないのでソーシャルなディスタンスは保てると思います。

今回はここ迄。お読みいただき有難う御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。