澄姫です。
一つの物事に熱中すると他がおろそかになるのは私の悪い癖。
ようやく落ち着きましたので、清姫に舞い戻ってこられそうな僕で御座います。
まだまだ忙しいのですが、清姫を心の支えにして乗り越えていこうかなと思います。
推しが居るって素晴らしいですね。
道成寺は観音菩薩に縁があるという話。
さてはて。
今日お話しするのは清姫研究のような与太話のような。色々と話を繋げていくと面白くはなりそうなのですが、その一方で具体的な根拠や論証を全然示せないので、ありていに言えば妄想のようなお話になります。
語弊の無いように言えば、証拠が残らない分野での話になります。なので、推測や憶測は可能でも明確な断言が出来ないってことですね。
今日お話しするのは、清姫の物語が広まる周辺域にはあのお方が居たのではないか……ということ。
どなたかと申しますと、観音菩薩様です。
結構なビッグ・ネームですね。仏教界のアイドルです。まあ仏像は偶像崇拝なのでアイドルと言っても差し支えない……のでしょうか。仏罰が下るかもしれない。
観音様にも色々います。例えば十一面観音や千手観音、馬頭観音、聖観音など。
せっかくなのでコトバンクから辞書的な意味も引っ張ってこようかと思います。
以下引用。
大乗仏教の代表的な菩薩で、仏教の慈悲の精神、すなわち仲間に対する友情と悩める者に対する同情とを人格化したものである。観音(かんのん)とも略称される。
(コトバンク『大日本百科全書』項より)
観音像はその変化(へんげ)相により種々あるが、のちに聖観音(しょうかんのん)のほかに、十一面観音、如意輪(にょいりん)観音、馬頭(ばとう)観音、准胝(じゅんてい)観音、千手(せんじゅ)観音を加えた六観音の信仰や、さらにこれに不空羂索(ふくうけんさく)観音を加えた七観音の信仰が生じた。(……)説話上では、観音の住処がインドのポータラカPotalaka(補陀落(ふだらく))山であるという信仰が生まれる。(……)日本では紀州(和歌山県)熊野の那智山(なちさん)とする考えがある。
十世紀ころになると、観音信仰は抜苦与楽を願う個人的な信仰へと移っていく。ここに霊験(れいげん)の多い観音霊場が求められ、観音を本尊とする寺院の建立が盛んになり、長谷寺(はせでら)、石山(いしやま)寺、清水(きよみず)寺、粉河(こかわ)寺などが有名となった。さらに観音三十三身に数をあわせた西国三十三所の霊場信仰がしだいに定着する。
簡単にまとめると
- 観音は仏教の精神がキャラクター化したもの
- 色々な観音様が居て、六観音とかが有名
- 日本だと那智山に住んでいるらしい。
- 観音を本尊としたお寺の例として粉河寺・清水寺など
ですね。まとめ方あってるのかなこれ。
我らが道成寺も、観音を本尊としたお寺の一つで御座います。
『道成寺縁起』の下巻では、道成寺の由来を以下のようにしています。
「日高郡道成寺と云寺は、文武天皇之勅願、紀大臣道成公奉行して建立せられ、吾朝の始出現千手千眼大聖観世音菩薩の霊場なり。」
『道成寺縁起絵巻』下巻詞書より
観音像の中でも特にインパクトの強い千手観音が本尊となっています。昨年催されていた道成寺二代目の鐘里帰りでは御開帳がされていましたね。他にも、宝物殿では国宝の千手観音像を拝むことが出来ます。
また、道成寺の建立物語である宮古姫伝説も、千手観音のいわれを語っていますね。詳しくは昔宮古姫についての話を書いたのでそちらをお読み頂ければと思いますが、要は宮古姫の髪を伸ばすためにおばあさんが海に潜ったら仏像を見つけて、拝んだら髪が伸びた、という話でした。
この仏像が千手観音の中に安置されているのだとか云々。
道成寺の千手観音、迫力満点且つ国宝ですので、皆さまもぜひ行かれた際には御覧になってくださいね。
清姫の周りにも観音が多い話
この辺から与太話が始まります。
まずは民間伝承の色合いが強い『日高川草紙』から。
安珍役の賢学と、清姫役の花ひめが再会するのは先にも観音像を本尊としている代表例の清水寺。そして、賢学は花ひめを捨てた後に煩悩を振り払おうと那智の滝へ打たれに行きます。那智は観音の住まいである補陀落とされる場合もありましたね。
清水寺と那智、日本の観音信仰の二大霊場を繋げているのが『日高川草紙』だったりします。
清姫伝説の派生ですので、観音に関する物語としての意識があったのかもしれない。
さて、清姫伝説は遠く離れた宮城の地にもあります。
安珍の出身地は福島県なのですが、お坊さんとしての所属は羽黒山だったりいろいろな場合があります。その中で、宮城県にあって既に廃寺となった東光院というお寺の三代目に当たるのが安珍であった、という話もあります。因みに清姫伝説の逃げたり追っかけたり焼いたりは舞台がちゃんと紀州です。安珍の出自が宮城県のお寺、という事ですね。
そんな宮城県に残る清姫伝説だと、清姫の名前が「佐夜姫(さよひめ)」であったとされています。何故名前が違うのかは未だ僕でも分かりかねますが、綺麗な名前をしていますね。さすきよ。
このさよひめですが、文字が違うけれど『まつら長者』という物語にも登場します。そして、この物語には大蛇と観音が出てきます。さらに、滋賀は琵琶湖にある『竹生島縁起』の物語と内容をほぼ同じくします。
滋賀といえば、清姫伝説の派生である奇異雑談集『戸津坂本にて、女人僧を逐つて、共に瀬田の橋に身をなげ、大蛇になりし事』も琵琶湖沿岸の話ですし、瀬田の橋は俵藤太の伝説で俵藤太と大蛇が邂逅した場所でもあります。
因みに、琵琶湖や滋賀を含めた中部地方一帯には清姫伝説のかんこ踊が伝わります。この周辺域では清姫伝説がそれなりに広まっていたんだろうなぁ、と考えられますね。
考えられるだけで具体的なことがほとんど言えません。何時の時代に成立したとかが分かればいいのですが、民間伝承の類は発生時期が分かりません。そうなると関連性も指摘できなくなるので、憶測止まりです。
けれども、色々繋がりそうな気がしないでもないですね。
まだまだ清姫に関して調べる余地があるのは嬉しい事です。これからも頑張っていきます。
今回はここ迄。お読みいただき有難う御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。