澄姫です。
今回は安珍清姫伝説のヒロイン、清姫についてのお話。
清姫ちゃん、なんといっても文字がいい。清らかな姫ですよ。
日本に姫数多かれど、清の名を与えられしは清姫のみ。
清すぎる
さて、安珍清姫伝説から見ると清姫は
「安珍への執念と怒りで大蛇になってしまった少女」
といったところ。俗に言えばヤンデレと言えるでしょうか。
蛇に成っただけでは飽き足らずついぞ愛する者を自らの手で焼き殺す、というのは印象深く残ります。なんたってヤンデレストーカー殺人犯とも言えちゃうわけで。
では清姫とはいったいどんな人物なのか、というお話をしていこうと思います。
※複数の文献に基づいているので、個々の文献ではそれぞれ清姫の描かれ方が若干異なったりします。いろんな清姫が居るのもまた魅力。
1.名前
名前は先程から連呼している通り「清姫」ですが、実は清姫という名前の登場そのものは結構遅いのです。
初出は1742年に初演された浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』にて。それ以前は「寡婦」や「花ひめ」と呼ばれ、印象もやや異なります。清姫伝説の一番古い文献が1040~1044年に成立した事を考えると、700年ほど名前が無かったことになりますね。
清姫が今のような少女のイメージとなったのもおおよそはこの頃です。それ以前から少女清姫は居ましたが、定着したのは近世頃だったものと思われます。
2.年齢
文献によりますが、清姫は数え年で13歳だったとされています。
数え年が「生まれた年を1歳」と考え、「元日に年を取る」という数え方なので今で言えば清姫の年齢は11~12歳と言ったところですね。
年齢は意外にも名前より登場が早く、室町時代以前に成立したと思われる踊り歌で既に十三の歳である、と記述があったようです。
そんな年で夫婦の契りを求めて夜這いを仕掛けるなどなんとも大人びたおませちゃんにも見えますが、清姫の生きた平安時代であればその位に年に誰かと夫婦になる、というのは特別変わった事ではなかったのやもしれません。
3.出身地
お次は清姫の出身地について。
清姫は和歌山県の真砂(まなご)という場所が出身です。文献にも真砂という地名は登場し、そこに住んでいたとされています。また、現在も真砂には「清姫生誕屋敷跡」というものが残されており、他にも菩提寺やお墓など、真砂地区は清姫の地元と言って良いでしょう。
4.命日
最後は命日についてです。
何故誕生日ではなく命日なのかと申しますと、清姫の誕生日ははっきりしていません。代わりに命日とされる日は分かっています。
何時かと申しますと、928年の8月23日であったと伝わります。同時に安珍清姫伝説が起こったタイミングも分かりますね。旧暦ですので、今の暦で言うと十月の頭、秋が色めき始める頃合ですね。
因みに。
367日誕生日大事典には清姫の項目が有りますが、この清姫は松平頼純という人の娘の方の清姫で、安珍清姫伝説の清姫ではありません。お間違えなきよう。
私は間違えた
また清姫は和歌を詠んだ、物書をした、料理をした、川で泳いでいた、神子であった、などなど記録されていたりします。
結構多彩ですね。流石清姫。凄い。偉い。
簡単に纏めさせて頂きましたが、今回僕がお話した事が清姫の全てではありません。
またの機会に、一つ一つやや込み入ってお話していければと思います。
今回はここ迄。御読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。