清姫の話。【終点】熊野について。

横になる清姫清姫の話
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熊野ですわ! 違います、澄姫です。

日本の古き建築物と云えば神社仏閣の類。建造物は古いだけで価値を持ちます。それは歴史も勿論、用いられた技術が現在の技術では再現不可能だからだったりもします。

去年の四月、まだ平成だった頃にフランスではノートルダム大聖堂が延焼してしまいましたね。不謹慎ながらも燃えるノートルダムが余りにも美しかったので、その時初めてノートルダムに行きたいと思いました。滅びゆくまでが芸術なのかな、と無い感性で勝手に思ふ。

同時にステンドグラスが無くなってしまわなくてよかった。あれは二度と作れません。
技術的にもそうですが、ガラスは液体の性質をもつ個体と揶揄されるほど特別な物質。水を同じ形と流れには二度と出来ませんからね。

さて、日本で歴史ある建造物といえば法隆寺。柿を食べるたびに鐘が鳴ってくれます。このお寺には鐘がある。

因みにこの法隆寺に関して、日本が誇る芸術家岡本太郎は「燃えて結構」と言っています。不謹慎さぶっちぎりですが、古いものを大切にし過ぎて創造性を失ってしまっては、法隆寺を立てた時に先人達が持っていた創造性を受け継がず放棄してしまう事になる、という意もあるようです。

例の如く余談余談、様式美。

熊野という場所の話

そろそろ本題に。

法隆寺は伝わるところによると1400年も前に建てられましたが、そんな法隆寺にも負けず劣らずの古寺こそ我らが道成寺。702年に建立されたといいますが、和歌山県最古のお寺です。和歌山県どころか全国で見ても相当に古い方でしょう。

そんな和歌山県で古きを語るに外せないのが何といっても熊野。安珍が目指した地にして、古来より信仰の中心になり、果てには信仰という概念そのものと成った、ある種異常な土地です。

  • 熊野本宮大社
  • 熊野速玉大社
  • 熊野那智大社

この三つからなり、熊野三山ともいいますね。この熊野一帯や高野山、吉野大峯を含んだ紀伊山地の霊場と参詣道は2004年に世界遺産にもなっています。

つまり清姫は世界遺産の女。

ですが、いくら世界遺産とはいえ、行く機会が無ければ行かないですし言い方を変えればただの神社仏閣。神様仏様に用事があるのならばそんなわざわざ僻地に行かずとも地元の神社やお寺に毎日参拝へ行ったとて何が変わるというのか。

それに昨今『霊場』なんてものに縁がありません。少々イメージが湧き辛い場所かもしれません。

しかし江戸時代には伊勢と並んで一生に一度はと言われたほどの熊野三山。かの若僧安珍もはるばる奥州からきて何を求めたのか。

そんな熊野のざっくばらんなお話です。

熊野の軽い始まりの話

ではでは、そもそも熊野とは何ぞや、という話。

要は神社で修行場があって滝がある。しかし何がそんなに凄いのか。
手っ取り早く、歴史を辿っていきながら見てみましょうか。

熊野の名前が一番最初に登場した文献は『古事記』です。712年に編さんされた、『日本書紀』と並ぶ日本最古の国書。ざっくばらんに言えば神代までさかのぼった日本の歴史書、神話の領域ですね。

道成寺の方が古いのですが、そうみると道成寺凄い……。

さて、古事記には神武天皇が熊野から大和に至ったとあります。神武天皇は日本の初代天皇で、紀元前7~8世紀、2600年以上も昔の人ですので、そう捉えるとそんな大昔から熊野は特別な場所とされていたわけですね。

神武天皇は天照大神の子孫だったり130年も生きたりしているので、流石神代の人物と言わざるを得ない。

さて、古事記の内容の可否はともあれ、ここから考えると編さんされた当時既に熊野がある程度特別な空間や場所という認識が無ければわざわざそんな壮大な舞台の一つにされないでしょう。すなわち、700年頃かそれ以前から特別な場所だったんですね。

因みに、熊野の本宮の方へ行くと三本足のカラス、八咫烏がモチーフデザインになっているのが散見されます。これは神武天皇を導いたとされる逸話に基づくものでしょうね。

その後、『日本書紀』ではイザナミノミコトが葬られた場所とされていたり、偉いお坊さんが法華経を修めたり凄い人がいっぱい来たり若くてイケメンでこの後焼死体となって発見される人が来たり戦乱の世に振り回されたりします。

古事記で飛ばしすぎてエネルギーが切れたとかそんなんではないです。いきなり雑になってはいません。このカシオミニを賭けてもいい。

因みに、1800年頃のピーク時には巡礼者は一年に3万6千人ほどとなっていました。当時と成れば道はあれど公共交通などもなく、しかも和歌山というやや僻地。相当に人気観光地です。観光地という言い方が正しいかはともかくとして。

まあそれでも伊勢にははるか及ばないのですが。ピーク時に200万人くらいが伊勢にはいっていたそうです。(当時の人口は3000万人ちょっと)

そして現代となり、世界遺産登録も相まって熊野は日本のみならず世界でも重要な意味を持つこととなるのでした。

熊野信仰のあれこれ

そんな熊野ですが、大昔は修験者たちの修行場でした。険しい山の奥地ですからね。精神や肉体を鍛えるのにはぴったりだったでしょう。

ちょっと触れましたけども、偉いお坊さんが700年代に法華経を修めており仏教的な思想が入っていたのは勿論、那智の滝を代表するように滝や山、海そのものに対する自然信仰、加えて古事記や日本書紀の記述から神道の考えまで入っています。

少し話がそれますが、元々の清姫伝説が仏教説話、特に法華経に纏わる話なのは熊野に法華経が修められているからなのでしょうね。

盆と正月どころかクリスマスまで入っているレベルのごちゃまぜ具合。神仏融合もいいところです。

熊野という場所は、宗教というよりもむしろ「信仰そのもの」の空間です。信仰という概念を持った土地。何か有り難い物が熊野にあるのではなく、熊野そのものが有り難い場所であるという、なんとも摩訶不思議な場所ですね。

話が思った以上に長くなったのでいったん切り上げましょうか。
熊野が持つ空間としての雰囲気は非常に魅力的です。僕は一度本宮に行ったきりなのですが、いつか新宮と那智の方へも行ってみたいと思っています。

今回はここまで。御読み頂き有難う御座いました。
では次回も……清姫の話をするとしよう。

……今回清姫のきの字も出てないけど。