清姫の話。【贈答】安珍と清姫の詠んだ歌

ゆびさす清姫 安珍
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澄姫です。

挙句の果て、という言葉がありますね。
挙句、というのは連歌の一番最後の7・7の句を言います。そこから転じて終わりを指す言葉でもありますが、その果てですのでとっても終わりってことです。言い方。

そもそも連歌とはなにかですが、5・7・5の長句と7・7の短句を続けて詠んでいく歌のことです。むつかしそうですが、

冷蔵庫・プリンがないが・誰食べた(発句)
わめく妹・腹が鳴るなり
コンビニの・電灯周りに・虫が舞う
今更気が付く・財布忘れた(挙句)

こんな感じですね。要は長句と短句を交互に詠んで、7・7で締めれば連歌になります。

僕も前に連歌に参加したことはありますが、如何に前の句と繋げつつ、くどくならないか、上手く言葉を字数で収めるかなど結構楽しいです。インテリジェンス・スポーツといっても差し支えない。季語なり掛詞なりと歌には色々な制約が設けられることは多いですが、まずは長句と短句を交互に続けて詠んでみるだけでも良いと思います。

結構楽しい。

道成寺縁起の安珍と清姫の贈答歌

贈答歌ぞうとうかと呼ばれるものがあります。手っ取り早く広辞苑で引きましょうか。

【贈答-歌】二人がその意中を言い合い、やり取りをする和歌

とあります。この和歌は三十一文字(5・7・5・7・7)からなる歌ですね。広義的には漢詩に対しての日本の歌全般を指す場合もありますが。贈答歌のやり取りが道成寺縁起にもあります。

安珍と清姫が歌を互いに贈っているのです。清姫といえば道成寺縁起なので、読んで知っている人もいらっしゃるでしょう。

そんな贈答歌のお話を今回は。
結構面白い話だったりする。

清姫から安珍への歌

清姫が安珍へ送った歌は次の通り。

先の世の契りのほどを三熊野の神のしるべもなどなかるべき

訳すと「先の世から契りには熊野の神々によるご縁があったに違いない」とおおよそこんな感じですね。

道成寺にて売られている道成寺絵解き本では「先の世」を前世(先の世)と昨夜(先の夜)に、「三熊野」を熊野三山と見熊野(=熊野の神々が見ていた)という風に掛けている解釈していました。

解釈がエモい。和歌には掛詞というものが多用されます。今でいえばダジャレにも近いですが、それを情緒的というかなんかいい感じにしているのが和歌なのです。昔の恋は歌を送りあうところから始まりますし、要所要所で歌に思いを託すのは一般的。清姫が歌を詠むのも自然な流れだったのでしょう。

安珍から清姫への歌

清姫の歌を受けて、安珍が返したのはこのような歌。

三熊野の神のしるべと聞くからになお行く末の頼もしきかな

熊野の神々のお導きとは、行く末のなんとも頼もしい事でしょう」のような意になりますね。この「行く末」は安珍個人の行く末なのか、安珍と清姫二人の行く末なのか。清姫は当然後者で受け取るでしょうが、安珍の真意はどこに。

送られた歌に対する返歌は、相手の言葉を踏まえたうえで返す、というのがルールになります。月について詠まれているのならば月に関して詠み返す、と大雑把に言えばそんな感じです。そしてただ似たような単語を返すのではなく、託す思いにも返事をせねばなりません。

和歌の贈答には色々なシチュエーションや意味が含まれるので詳しく知りたい人は専門の本か、源氏物語でも読むと良いです。登場人物に合わせて歌の詠み方を変えている紫式部、まぎれもなく怪物。余談余談。

さて安珍。文面としては「三熊野の神のしるべ」、返事としては「行く末の頼もしき事」となります。一見安珍はきちんと返しているように見えますが、はぐらかしているように見えなくもない。清姫の歌を受けてはいるものの、意図を汲んで返しているかはちょっと怪しい感じです。

源氏物語に似たような歌がある話。

先ほども少し触れた源氏物語ですが、安珍清姫の贈答歌によく似た歌があります。

源氏物語夕顔の巻。光源氏は素性のしれぬ女、夕顔にハマって逢瀬を重ねていきます。八月の十五夜、光源氏は夕顔を連れて廃寺に向かいます。その先で何やら正体不明の怨霊が出てきて夕顔を憑り殺してしまうのですが、それはさておき。

廃寺に向かう前、光源氏は夕顔を連れ出そうとしているときのやり取りで仏教の因果に触れながら「優婆塞が行う道をしるべにて来む世も深き契りがたふな」と詠みました。「来世までの約束にそむかないでね」的なニュアンスです。

それに対する夕顔の返歌。

前の世の契り知らるる身のうさに行く末かねて頼みがたさよ

前世の因縁の思い知られる身の上の辛さを思うと、これから先のことはとても頼みがとうございます」という意。結構悲嘆にくれた歌ですね。前世の因果によってそこまでこの世も良くないというのに、これから先の人生、果てには来世もどうなることやら。おいそれと頼りにするわけも行かず。

さてはて夕顔の返歌ですが。

前半部分が清姫の歌を、後半部分が安珍の歌を思わせるような文面です。
並べてみましょうか。

清姫の歌「先の世の契りのほどを三熊野の神のしるべもなどなかるべき」
安珍の歌「三熊野の神のしるべと聞くからになほ行く末の頼もしきかな」
夕顔の歌「前の世の契り知らるる身のうさに行く末かねて頼みがたさよ」

清姫の安珍の歌のやり取りは『道成寺縁起』が初出となります。

一応『日高川草紙』でもやり取りがあったり、能楽の方も加味するとややこしいことになりそうなのでここでは安珍清姫の歌とやり取りを『道成寺縁起』のものとしておきましょう。

『源氏物語』などで詠まれる歌もそうなのですが、歌は時として全くの創作ではなく昔の歌を引用することがあり、これを「引き歌」と呼びます。謂わば歌の元ネタですね。お互いに元ネタを知っているからこそ伝わる想いみたいなものがあるんです。多分。きっと。めいびー。

『道成寺縁起』を作る際に贈答歌を取り入れるとして、歌をどうしたのか。一からそれっぽい歌を作るのも良いが、それは多少なりとも労力となる。創作をしている人なら分かると思いますが、一次創作よりも二次創作の方が楽だったりします。オリキャラ作る時もなんとなくイメージするキャラが居たり。

そんな感じだったのではないか。そして結構有名で、男女の歌がいっぱい載っていて、しかもすれ違う歌……となると『源氏物語』は引用先としてぴったりですね。

「しるべ」という単語は夕顔の歌に出てきません。その歌の前に光源氏が贈った歌に「しるべ」は出てきます。なので夕顔の歌というよりは光源氏と夕顔の贈答歌を引き歌として清姫と安珍の贈答歌を作った、と捉えるのが自然かもしれません。

安珍清姫の歌に元となる歌があった、という一連の話は澄姫の考察みたいなものなのであしからず。

因みに贈答歌ですが、贈歌は「男性から女性へ」「身分が上の人から下の人へ」送るのが原則だそうです。

清姫から安珍へ先に贈っているのは原則から反している状態になりますね……清姫の想いの具合よ。

歌に関しては色々調べてみると面白いので気になった方は調べてみてください。
人物によって歌を詠み分けている紫式部が化け物だということはよく分かります。

今回はここ迄。お読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。