清姫の話。【前世の契】鐘鋳造と老夫婦の物語

猫を可愛がる清姫 民間伝承
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澄姫です。

自分の前世が気になるお年頃。
清姫伝説は仏教的はお話でもあるので、輪廻転生的な前世来世と言った概念も出てきます。

清姫の家に時たま出入りしていた猫とかそのあたりで宜しく。にゃーん。
現世で碌なことをしていないので、来世は畜生道にでも堕ちているでしょう。

余談余談。

清姫伝説に出てくる前世の話。

さてはて、早々に前世やら来世やら占い師のようなお話をしたのはと云いますと、今回は清姫の前世についてのお話だからです。

『道成寺縁起』では熊野参詣へ出立する安珍へ向けて、清姫はこう詠みました。

『先の世の契りのほどを御熊野ゝ神のしるべもなど、なかるべき』

大まかに訳すと「前世からの契りとも呼べるものに、熊野の神様のお導きがないのだろうか」といった感じ。いわゆる反語表現ですね。五・七・五・七・七なので短歌になります。

この歌は『先の世』を『先の夜』、『御熊野』を『見熊野』『三熊野』として、昨晩、つまり清姫が夜這いして安珍が帰ってきたら戻りますから云々と言ったときの事を指し、「昨晩の約束を熊野の神様も見てくれていたかな」と云う意味も掛けているのではないか、とされます。

年頃の女の子らしい歌であるとともに、言葉遊びにもなっていて非常に面白いですね。
因みにこの解釈は僕のものではなく道成寺の発行している絵解き本にありました。とても尊い解釈ですね。

そしてそのあと、清姫から逃げる安珍も「僕前世でどんな悪い事したの!?」って言いながら逃げてます。現世での嘘っていう悪事は何処へ行ったんでしょうか。現世よか前世。

余談ですが僕は古文が大変苦手でした。現代文で稼いだ偏差値を帳消しにするレベルで全く出来なかったので、よもや古典文学の一つにずぶずぶとはまるなんて、一生の不覚、深く。沼だけに。

ばぐ
ばぐ

be動詞で詰んだ

CHECK【転身絵巻】『道成寺縁起』について

安珍と清姫の前世の話。

さてはてそんな安珍清姫略して安清の前世。

寝てる清姫に乗る猫

清姫であれば菩薩の化身、現身であるというような話も聞いた事が有るかもしれません、小説の新釈娘道成寺か、恋の清姫辺りではそう描かれてましたね。原典では無かったと思います。主に安珍から清姫がそう見えたとか云々。細かいところはうろ覚えですが。

2人の前世に関しては、民間伝承の中に道成寺の鐘を鋳造した時の話があり、ここに出てくる老夫婦二人がそれぞれ安珍清姫に生まれ変わったのだとされているようです。

以下伝承。

昔々、道成寺の鐘を鋳造するにあたって万人の念力が込められるよう、檀家の総代が世話人となって周囲の家々にいき、金属類を集めて回りました。
古銭から鉈、延べ棒、かんざしなどなど……。

その中でとある老夫婦の家にも金属類を寄進するように世話人は求めました。その老夫婦の暮らしぶりは決して良いものではなかったのですが、病気で家にいたお爺さんは鐘の為ならばと喜んで家にあった鉈を渡したと言います。

しばらくして帰ってきたお婆さん。お爺さんはかくかくしかじか、そういったことで鉈を渡したと言いますが、お婆さんは鉈が無ければ明日からどうやって食べる物を取ってくればいいのか、このままだと二人揃って餓死をするしかないと嘆きました。

困り果てたお爺さん。お婆さんが泣き伏している間にこっそりと家を抜け出し、家の裏手にある池に身を投げました。

しばらくしてお婆さんが目を覚ますとお爺さんの姿がありません。慌ててお婆さんが探すと、裏手の池にお爺さんの草履。お婆さんはお爺さんが何をしたのか悟り、後を追って身投げしました。

後にお爺さんは奥州白河の僧侶、お婆さんは牟婁群真砂庄司の娘に生まれ変わったと言います。

そして道成寺で焼かれた鐘の跡から、古い鉈が一丁見つかったとも。

このお話は熊野の郷土誌にありました。

伝わっていた場所は不明ですが、道成寺の鐘に纏わるお話ですから、真砂というよりは道成寺の近辺での言い伝えではないのだろうか、と思います。

金属類と言えば色々ありますが、何故に鉈なのか、と考えましたが它だからなのでは、と思って居ます。偏を変えると蛇になるからかな、と。そもそも它という漢字だけでもヘビと読みますし。

ばぐ
ばぐ

ウヒ

清姫伝説に纏わる民間伝承は現存しているもの以外に相当数あったのではないかと思います。同時に、清姫と安珍2人様々な物語があったのでしょう。

清姫伝説にだけに関わらずとも、民間伝承が現在まで残っているものは稀です。生まれては消えてを繰り返していきますし、伝える人がいなくなってしまえばそこで途絶えますからね。
色々と発掘していけると良いなぁ。

今回はここ迄。御読み頂きありがとう御座いました。
ではまた次回も……清姫の話をするとしよう。